高校総体連覇、大学で苦悩 女子やり投げ・北口榛花(中)

3歳から始めた水泳は自由形を専門とし、小中学校でバドミントンにも打ち込んだ。小6の全国大会で、後に日本を代表する選手となる山口茜と対戦した経験もある。今では身長179センチと世界に引けを取らない恵まれた体格で伍(ご)する北口榛花(JAL)は、スポーツ万能で知られる。
陸上は高校1年から。旭川東高陸上部顧問(当時)の松橋昌巳がやり投げの世界へといざなった。マネジャーが北口の中学のバドミントン部の先輩で、「長身でやり投げをしたらいい選手になる」と松橋に"推薦"したことがきっかけ。
最初は「見に来るだけでいいから」と誘われた北口も投てきの楽しさを覚え、水泳との二足のわらじで競技を始めた。五輪を目指せる逸材を預かった松橋は「手足が長ければ大きい力が生まれるので、あの体格は圧倒的なアドバンテージ。たいした助走もしないで比較的真っすぐ飛ばすセンスもあった」と述懐する。
バドミントンや水泳で培われた肩回りの柔軟性や腕の使い方は武器となり、わずか2カ月で北海道大会を優勝。早くから潜在能力の高さを披露し、その年にやり投げに専念することを決めた。
松橋の指導方針は「長い目で見て大きな選手に」というもの。基礎から鍛えられた北口だが瞬く間に距離を伸ばし、とんとん拍子で階段を駆け上がる。高校2、3年と全国高校総体を連覇。15年の世界ユース選手権を制して「自分も世界と戦えるんだ」と実感した。
だが、高校での華々しい戦績に比べて大学時代は苦しい時期もあった。1年時には右肘を故障、翌年はコーチ不在でよりどころがいなかった。北海道に戻った際に一緒に練習に付き合った松橋は「精神的に不安定な時期だったと思う」と当時の心境を推し量る。
競技人生、常に右肩上がりではない。それは本人も理解して我慢の時を過ごしていた。「必ず止まるときは来る。競技は違えど、それを水泳で経験していた」。どれだけ落ち込んでも、楽しくて選んだ競技を投げ出してはいけない。現状を受け入れて糧にする精神力は、他競技を通して学んだことでもあった。
昨年、世界記録保持者のバルボラ・シュポタコバ(チェコ)と一緒に練習した際、「あなたにはあなたのバックグラウンドがある。身体的特徴も違うから全部まねしなくていいよ」と助言をもらった。「自分の投げ方を肯定してくれている気がした」。自分は自分のままでいい――。結果が出ずに涙することもあったが、アスリートとして芯が通っているように感じるのは、決して成功ばかりではない様々な経験を積み重ねてきたからなのだろう。=敬称略
(渡辺岳史)