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勝負に徹した「伸び伸び野球」 名将・木内さんをしのぶ

高校球界の名将、茨城・土浦一高、取手二高、常総学院高を率いた木内幸男元監督が24日、89歳で亡くなった。「木内マジック」と呼ばれた、ざん新な戦法、選手育成で注目を集め、亡くなる直前まで球児、野球界に思いをはせた人だった。

2003年の夏の甲子園大会で、指示を出す常総学院高の木内幸男監督=共同

「常総学院には"あがっているか?"というサインもあるのだよ」と、取材陣をけむに巻いたことがあった。野球でサインといえば、ベンチから選手へ向けた一方通行の絶対的な指示。受けたかどうかの確認以外に、選手側に返答の余地はない。

そんな上意下達を象徴するような指示に問答を取り入れたのが、木内式だった。緊張をほぐすためのユーモアにすぎなかったかもしれない。だが、背景には選手に自主性を求める考えがあった。

「確認のため再度指示を」だけでなく、自分の考えも盛り込んだ返答があってもいいのでは、と選手を挑発したのだった。試合進行の問題もあり、実際にどこまで問答があったか分からない。ただ、指示待ちだけの選手が少なかった。

1984年夏に取手二高が茨城県勢として甲子園で初優勝した。新聞の主見出しが「PL学園敗れる」だったことに、取手二ナインは「なぜ、取手二勝ったでない」と不満を述べた。主役は自分たちという意識の変化に、監督はニンマリとした。

この頃から「木内式伸び伸び野球」が評判になった。が、同監督は「伸び伸びは必死に練習したものにだけ許される」とピシャリ。野放しに緩い練習をするのと一緒にされてはたまらない。高校野球指導者への講演でも「球児に迎合していないか。伸び伸びと好き勝手は違う」と厳しかった。

早く指導者になるために、大学へ進学しなかった。東京六大学、東都大学などでプレーし、指導法を学んだライバルに対抗すべく、懸命に野球を勉強した。早くから投手の酷使を避けるために複数投手制を採用、ワンポイント救援やセーフティースクイズなども進んで採り入れた。

ざん新な用兵、作戦が評価される一方で「勝利にこだわり過ぎる」と誤解もされた。それでも「勝とうとするから工夫して、さまざまなことを学ぶ。フェアであれば問題ない」と言った。

知名度が上がると、経営陣へ組み込まれる。2003年には常総学院の副理事長になったが、すぐに野球が恋しくなって2年後に総監督で復帰。だが08、09年夏の甲子園でいずれも初戦で敗れた。

80歳になった11年に体力的に無理がきかなくなり、やむを得ず退陣した。それでも教え子や知人とは野球の話ばかり。常総学院は来春の選抜大会へ甲子園出場が有力視されている。監督は87年夏に準優勝したときのエース島田直也。晴れ舞台で指揮する教え子を、ぜひ見たかったことだろう。(スポーツライター 浜田昭八)

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