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選手もファンも「たかがサイン、されどサイン」

スポーツライター 浜田昭八

私事で恐縮だが、アルファベット「D」の筆記体大文字は、戦前から戦後にかけて活躍した「ヘソ伝」こと阪急・山田伝外野手にもらったサインの書体をずっとまねている。

中学生だったとき、春のオープン戦のBK杯(阪神―阪急の定期戦)を、甲子園球場で観戦して以来のことだ。同選手は米国育ち。ヘソの前のあたりで飛球を捕るポケットキャッチは見事だったが、「Den Yamada」とサラサラとサインする姿は実にスマートだった。一緒にサイン帳をかざした観戦仲間は皆、ファンになったと思う。

サインはファンと選手をつなぐ大切なものだ(2013年2月、春季キャンプで男の子にサインを手渡す阪神・藤浪)=共同

このとき、阪神・若林忠志、土井垣武のバッテリーにもサインをもらった。飲食店の壁面に並ぶ最近の選手のサインと違い、きっちりとした楷書だった。

野球記者になって、土井垣氏と同席した機会に「子どものころ、あなたにサインをもらった」と話した。「あれも行列ができるほどの数になると、しんどいものだよ。ありがたいことだから断らなかったけれど」と笑っておられた。

楷書から草書へ、時代の流れ

その言葉を聞いて、長嶋茂雄、杉浦忠と立教大でチームメートだった本屋敷錦吾を思い出した。阪急、阪神で活躍した好内野手だった。優しくていい人だが、サインをするときだけは渋い顔をしていた。字数も画数も多い名前のロッテ・伊良部秀輝や西武・松井稼頭央は、どうだっただろうか。しんどい思いをしながらファンサ-ビスに励んだのだろうか。

現役にもソフトバンク・嘉弥真新也、阪神・藤浪晋太郎、梅野隆太郎ら、字数、画数の多い名前の選手は何人もいる。ただ、その昔と違って、サインを求めるファンの数は桁違いに多い。大相撲の関取のように、付け人の手助けで色紙に朱肉の手形を押すだけなら楽だろう。それができないから、現在の飲食店の壁面に並ぶサインのような方法が編み出された。

姓だけを平仮名で書き、背番号を付記するのだ。大量生産するから、書体は草書を通り越すほど崩れ、まるで「雑草書」だ。できるだけ多くのファンにサービスしようとする苦肉の策として、こんな方法しかないのか。

メディア関係者は取材現場でサインを求めるのを自粛している。試合前のユニホーム組は展開をあれこれ考えて集中したい。それを、大量のサイン書きで妨げられるのは迷惑だ。気持ちが分かっているから自粛し、チーム側も禁止を申し渡している。以前はファンによく頼まれたが、嫌なことだった。サインをもらうワクワク感がないのに、知人への義理を果たすため、選手に迷惑をかけるのはつらい。自粛、禁止令はありがたいと思っている。

スターの鼓動を感じるサイン

王貞治のサインを、筆跡鑑定の専門家でないと判別できないほど、巧妙にまねて書く記者仲間がいた。ほんのお遊びだったが、その記者も取材でない「仕事」にうんざりしていたのだろう。王のものだけでなく、様々な選手の偽サインが出回っていたのではないか。

スターの鼓動を感じることこそが、サインをもらう醍醐味ではないか。人づてに手に入れたサインに、あまり値打ちがあるとは思えない。

接する機会がめったにないから仕方がないとはいえ、行列に並んで苦労するのも観戦の楽しみの一部ではないか。新型コロナウイルス禍のせいで、選手とファンが接する機会は減った。それでも、シーズンオフになると、サイン会など色々な催しで接触の機会は増えるだろう。

子どもの野球離れが危惧されている。球団はさまざまな催しでファンを集め、新規ファンの開拓に力を入れなければならない。選手は変則、過密スケジュールの疲れを癒し、ゴルフを楽しみたいだろう。それでも、サインは面倒がらずに応じてほしい。ひと目でだれのサインか分かる書体だとなお望ましい。

大リーガーはサインをしたあと「サンキュー」と言う。応援の礼を言うのは当然という姿勢だ。日本勢もそうありたい。たかがサインだが、ファンと選手をつなぐ大切なものだ。憧れの人の書体やしぐさを長く忘れずにまねている、私のようなファンもいるのだから。

ファンも節度をもって選手と接してほしい。女性ファンが増えて、観戦マナーはよくなった。だがまれに男性ファンが圧倒的に多かった時代の荒っぽい言動に嫌な思いをすることがある。野球界の隆盛に、ユニホーム組もファンも一体になろうではないか。

(一部敬称略)

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