丈夫な36歳、今季も四大大会へ テニス・添田豪(中)

祖母は戦前、女学校のテニス部主将を務め、母も高校総体に出場。家族との遊びの中で、添田豪(GODAI)は3歳でラケットを握った。筋がいいと感じた両親は、神奈川県藤沢市の荏原湘南スポーツセンター(SSC)に入れた。
世界トップ10入りした杉山愛らが巣立ったSSCの近くに住んでいたのは「ラッキーですね」と添田。ここを拠点に小中高と日本一になり、2003年にプロ転向。ずっと日本にベースを置きながら、世界トップ100入りした男子選手の草分けだ。
36歳の今季も四大大会に出場した。なぜ世界100位の壁を破り、かついまもプレーできているのか。「20歳くらいで、コーチでなくトレーナー帯同で遠征する決断をしたのが大きい。その若さでトレーナーを帯同したのは僕が初めてだったと思う」。まずはコーチを雇う選手が大半の中、その選択に迷いはなかったという。
子供の頃からマイペースだったようで、小学生の頃から知るGODAI白楽支店支配人の石崎勇太いわく「試合に勝ちたいのか、そうでないのか、分からない。ガツガツしているのを見たことがない」。
小学生の時、試合前のウオーミングアップをするようコーチに言われ、「走りたくない」と芝生に寝そべった姿を石崎は鮮明に覚えている。それでも優勝するような選手だった。「心の中ではいろいろ考えているけれど、出さない方が僕には自然。自己完結型なんで」と笑う。自分の中で自身と向き合い、答えを見つけるタイプと自己分析する。
プロ転向当初はなかなか勝てなかった。敗因は技術や戦術でなく、体力とパワー不足の問題と感じていた。添田には強烈なフォア、サーブ、左利きといった分かりやすい武器がない。半面、フォームはきれいで動きには無駄がない。ただ、そのストローク力も、粘れる体力がなければ意味がない。時間はかかったが、3年ほどトレーナーを帯同させると、体が仕上がってくるのに比例して、ランキングも上がった。
「もちろん優勝は狙うけれど、まずは試合に出続けること。コツコツと成績を残すことがプロとして生き残る上では大事。ケガをしたらゼロになってしまうから」。39歳のフェデラー(スイス)がいまだ第一線にいるのは、ケガの少なさも一因だ。同様に長期離脱がない添田も、ランキングを大きく落とすことがない。
意地もあった。きっかけは高校生の頃、ジュニアのトップ選手を集めた「(松岡)修造チャレンジ」で言われた「このままだったらプロで成功しない」との言葉だった。
「プロを目指す子にすごいことを言うなって思ったけれど、ここで意識は変わったかもしれない」と添田。見返してやる――。プロになって18年たった今も根底を流れる精神だ。=敬称略
(原真子)