失敗続きの我がマラソン 地足を養い、力まず完走
マラソンは他のスポーツよりも努力が成果に直結しやすいといわれる。ただ、ある程度以上のレベルを求めるようになるとまた違った難しさがあると思う。

トレイルランニングでは世界3位となった私だけれど、恥ずかしながらフルマラソンでは4度チャレンジして一度も好成績を残せていない。初マラソンは大学3年の時。走り込みも十分で体調も良く、それなりの結果を出せる自信があった。運悪くというのか、当日の朝に大きな地震が発生し、電車のダイヤが大きく乱れた。寒いホームで電車が来るのを長時間待ち、かろうじてスタート時間に間に合ったものの、体が冷えて胃腸の調子が悪くなり途中から全く走れなかった。
2回目は初挑戦の反省を踏まえ、会場近くに宿泊するなど万全を期した。だが30キロメートルから急激にペースダウンし、前回同様、歩いて何とかゴールにたどり着いた。そして3回目。現在の東京マラソンの前身大会でもある東京国際マラソンだった。過去2回、最後は歩いてしまった失敗から、後半まで動き続ける体づくりを終始一貫、意識した。そして「もうこれ以上何もやるべきことはない」と思えるほどトレーニングを積んだ。
30キロまで2時間20分ほどの記録が期待できる快調なペースでしかも余裕があったのに、35キロすぎから急激に体が動かなくなり、最後はやはり同じように歩くようなペースとなった。しかもゴール後に極度の低体温と低血糖症に陥り、医務室に担ぎ込まれる惨憺(さんたん)たる結末。結局この時の2時間33分が我が生涯のベストタイムで、自分にはマラソンは向かないと完全に諦めた。
それから15年ほどたった40歳目前で、第1回東京マラソンが開催された。この時はトレイルランニングに転向しており、幸運なことに富士登山競走の優勝者として招待していただいた。マラソンのための専門的な距離走などの準備は全くせず、いたって気楽な気持ちでのぞんだ。
当日は身を切るような冬の雨。途中で4回もトイレに駆け込む羽目になったが、終わってみると最後まで脚バテすることもなく走れた。トイレでの滞在時間を除いた時間は15年前の自己ベストとあまり変わらなかったのにも驚いた。狙うことなく走ったマラソンでの快走。同じようなレース経験談を数多く聞く。きっと力みなくリラックスして走れたのがよかったのだろう。
先日、ボストンマラソンを優勝した川内優輝選手と対談した際、トップ選手としては異例といえるほど、トレイルランニングを練習に取り入れているとのことだった。川内選手の30キロ以降の驚異的な粘りは、おそらく山道で筋繊維を強く太くして、最後までバテない地脚が養われたおかげなのだろう。私がなぜ最後のマラソンであれほど楽に走れたのかという長年の謎も解けたような気がした。
生涯に一度でもいいから、トラブルなくフルマラソンを走りたいと思うことがある。52歳ともなるとタイムを狙える余地はないけれど、今も走り続けるのは、心のどこかにあるこんな気持ちがモチベーションとなっている。
(プロトレイルランナー)