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成長するなら世界視野に 西和彦さん

関西のミカタ  須磨学園学園長

 にし・かずひこ 1956年神戸市生まれ。77年に月刊誌「アスキー」創刊。米マサチューセッツ工科大客員教授などを経て現在は東大大学院のIoTメディアラボラトリーディレクター。兵庫県参与も務める。須磨学園創立者・西田のぶの孫。

学校法人・須磨学園学園長の西和彦さん(64)は現在、東京都と関西を行き来する生活を続けている。パソコン専門誌「月刊アスキー」を創刊し、米マイクロソフトの副社長も歴任。コンピューター発展の黎明(れいめい)期に活躍した。スタートアップの成長には、世界展開を視野に入れた販売戦略が必要と説く。

■早稲田大学に在学中の78年、理工学図書館で見つけた米雑誌のマイクロソフトの記事が目に留まる。「面白い」とすぐビル・ゲイツ氏に国際電話。同年面会し、日本での代理店契約を結ぶ。その後、日本初のノートパソコンなど新たな企画を次々進めた。

中学、高校と図書館が大好きでした。本の知識だけでなく機械の実物をみて、分解する経験の蓄積もあった。海外は中学で6カ国ほど、高校ではハワイに短期留学した。これが原体験で、アメリカ行きには何のストレスや困難も感じなかった。須磨学園でも世界各地の研修を設けている。

米ベンチャーが成功できるのは米国市場が日本の2~3倍あるから。英語で商品を説明するので、アクセス可能な市場は10倍くらいある。日本からも英語を使って世界中にモノを売る必要がある。地球の裏側からでも買いに来てもらえるような技術力、専門力がないと勝てないだろう。

自分の好きなことを仕事にするのが正しい。ただスタートアップに行政の支援はいらない。支援なしに立ち上がれない企業は何をしてもダメ。(アスキー時代)自力で何でもやった。雑誌もコンピューター事業もうまくいくと信じていたから不安はなかった。親に3000万円借りたこともあった。

アスキー副社長時代の西和彦氏(左)とビル・ゲイツ氏(中)

■創業したアスキーと米マイクロソフト幹部を兼務。だが86年、ビル・ゲイツ氏の引き抜きを断り同社を退職した。翌年、アスキー社長に。89年、当時史上最年少で上場に成功した。だが事業が軌道に乗らず97年に当時のCSK(現SCSK)グループに身売りを決め、社長も辞した。

マイクロソフトに行くことに母が「日本人が米国に行っても大きな成功はできない。行くなら米国人になって行け」と。日本人は辞められないと考え直した。今さら当時のことを言っても仕方ない。

アスキーが上場を目指したのは、マイクロソフトが86年に上場し、追いつき追い越したいと。ちょっと滑稽ですけど、ずいぶん意識していた。

今の若い人たちのベンチャー精神は盛ん。常に新しいことに挑んでいれば永遠のスタートアップだ。ただ金もうけをしたい人が多すぎる。お金は結果。自分は何をしたいのか、その価値観がいる。好きにやりたいなら上場の必要はないと思う。確実な経営を意識しないといけなくなる。

■現在は東京大学大学院で研究開発に携わり、須磨学園長として東京と往来する生活が20年ほど続く。理想の教育実現へ大学設立も目指す。

歴史や漢文など全科目できなくてもコンピューターができる人は多くいる。工学部のみの新大学を2023年、神奈川県小田原市に開く方向で準備している。

関西は京阪神というが、京都・大阪・神戸は全く違う。東京との関係で論じられるのは大阪だけ。東京は関東平野全部。日本の「半分」は東京だと思う。商圏は大きい。(関西発で事業を育てるには)東京と大阪、両建てで行くことでしょう。東京の人は絶対に大阪に出てこない。東京だけで忙しい。事務所を両建てでやれるのは、大阪の人。

関西は時間がゆったり流れている気がする。それは良いこと。(事業成功のために)行くなら東京だが、東京が住み良いかといえば、そうではない。自分の居場所の神戸と行き来するのが、一番良いのではないかと思っている。関西と関東の両方、新幹線があるからできる生活がある。

(聞き手は沖永翔也)

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