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引き際で見せたイチローの決断力、球団の対応力

スポーツライター 丹羽政善

記者会見で現役引退を発表するイチロー選手(19年3月)

この時期、よく「去就」という言葉を目にする。そこにはどこか切ない響きがあり、その重みは引退となんら変わることがない。そして、直面している選手、あるいはその選手を抱える球団は、引き際における決断、対応にそれぞれ煩悶(はんもん)する。

それを目の当たりにしたのが、2018年から19年にかけて、イチローが引退を決断するまでの経緯においてだった。その舞台裏を描いた「イチロー引退 舞台裏の物語」が、20日午後8時からNHKのBS1で再放送される。本コラムで書き重ねたものと、昨年春、あの取材に携わった延長線上に拙著「イチローフィールド 野球を超えた人生哲学」があるが、今改めて振り返ると、ディー・ゴードン(現マリナーズからフリーエージェント=FA)から提供を受けた映像が、強く記憶に残っている。

チームメートの方を一度振り向き

結果的に引退試合となった東京ドームで行われたアスレチックスとの第2戦(19年3月21日)。試合が終わると、イチローは一旦、クラブハウスへ退いた。ミーティング、米メディアの取材を経て、およそ20分後、再びフィールドに姿を見せるのだが、ゴードンが撮影した映像には、イチローがクラブハウスからフィールドにつながる扉を開け、階段をかけ上がる靴音とともに、やがて歓声に包まれるまでが映っている。

エドウィン・エンカーナシオン(ホワイトソックスからFA)が撮った映像には、その数秒前の様子も映っているが、扉を開ける前、後ろに集まってきたチームメートの方をイチローは一度振り向く。あの扉の向こう側へ踏み出すと、もう引き返すことができない――。それは何かを暗示するようでもあり、次章への扉でもあったか。

19年の大リーグ開幕戦で打席に立つイチロー(東京ドーム)

その後の取材で、マリナーズのジョン・スタントン会長は、「決まっていたことと、決まっていなかったことがある」と、あの日の夜について明かしている。カーテンコールは、紛れもなく後者。筆者はあのとき、記者会見が行われるホテルに向かって歩き出していたが、地響きを伴う歓声を聞いて、慌てて戻った。

では、決まっていたこととはなんだったのか。それは当然、その日にイチローが引退することであり、一部はそれを知っていたが、では、いつからその日に向けたカウントダウンが始まり、誰がシナリオを描いたのか。冒頭で触れたように、それが番組の一つのテーマともなったが、今からちょうど1年ほど前、そのすべてを知る人物に話を聞くことができた。

イチローに委ねられた最終決断

東京での引退は、いかにして既定路線となったのか。いや、そもそも既定路線だったのかどうか。18年5月、イチローが選手登録を外れ、会長付特別補佐となったときから決まっていた、との見方も少なくなかったが、真相はどうなのか。すると、その問いにその人はこう答えている。

「あの5月の時点でも、東京での試合が開催されると決まった時点でも、引退は決まっていませんでした。キャンプが始まった時点でも」

ということは、イチローが現役続行を望んでいれば、東京で終わらない可能性もあったのか? 「本人の決断次第でした」

東京を花道に、という含みはあったものの、マリナーズはあくまでも最終的な判断をイチローに委ねた。

それを聞いて腑(ふ)に落ちた。もしも早い段階で、東京での引退が決まっていたとしたら、その2試合だけのためにイチローは、18年5月以降の膨大な時間を費やしたことになる。それが果たして現実的か。いや、イチローならそれができたかもしれないが、強いる側にとっても、それは酷である。

だが、イチローにはわずかとはいえ、チャンスが与えられていた。オープン戦次第ではその先もあった。だからこそイチローも、そのオープン戦で思うような結果を残せなかったとき、それを受け入れたのか。

過去の反省から球団が異例の配慮

そうした配慮は異例とも映るが、マリナーズには過去の反省がある。12年7月、イチローは若手の台頭もあって自らトレードを志願したが、当時、その年で契約が切れるイチローの対応において、チームは方向性を曖昧なままにしていた。トレードを言い出したのはイチローでも、それを迫った側面もある。

さらに苦い不手際もあった。10年のシーズン途中、チームのシンボルでもあったケン・グリフィーJr.が、引退を告げることなくチームを離れる、という事件があった。以来、マリナーズは功労者をうまく送り出せない、というトラウマを負ってきた。だからこそあのとき、イチローに委ねる、というスタントン会長の意志がぶれることがなく、両者に齟齬(そご)もなかったのか。

その後の道筋も、異例ずくめ。いわばイチローに白紙委任し、役割を一つに固定するのではなく、縦横、自由に動ける会長付特別補佐兼インストラクターという肩書を与え、新しいステージを用意した。そこに、マイナーリーグでの指導も含まれていたことにイチローの思いが透けた。

そのマイナーでの初指導は、19年5月3日。その様子は番組でも紹介されているが、最後に夕闇が迫る中で、イチローが球場を後にする印象的な場面がある。実はあのシーンは、ある少年の協力がなければ撮れなかった。

そのエピソードを最後に。

イチローの大ファンだったジョセフ君

練習で打撃投手を務めた後、ダッグアウトの奥へと消えたイチロー。それから姿を見かけず、すでに帰ったかと思って一旦、撤収しかけた。ところが、クラブハウス前でイチローのユニホームを抱きしめながら出待ちしていたジョセフ君という少年が、「探してくる」という言葉を残して消えた後、やがて、喜々としてかけ戻ってきた。

「イチローがいた! ダッグアウトで試合を見ている!」

それならばと、イチローの姿がダッグアウトにあるうちは残ったが、実際に帰るとき、ジョセフ君の姿はもうなかった。

そのジョセフ君とは、2週間後に思わぬ形で再会をする。彼は重い病気の子供たちの願いをかなえる「メイク・ア・ウィッシュ」の企画でマリナーズの本拠地球場Tモバイル・パークを訪れていたが、それは彼自身の願いだった。

その日もすれ違いが続き、なかなかイチローにサインをもらえなかったジョセフ君だったが、元マリナーズで相手チームの選手として来ていたネルソン・クルーズ(ツインズからFA)に、「打撃ケージの後ろにいるイチローのところまで、彼を連れてってくれない?」と助けを求めると、二つ返事で引き受けてくれた。

「よし、イチローにサインをもらいにいこう」

うなずき、向かった先に憧れのイチロー。クルーズに声をかけられて振り向いたヒーローに、ゆっくりとボールを差し出す。念願かなったそのとき、ジョセフ君はやはり喜々とした表情を浮かべているかと思いきや、固まっていた。しかし、後で声をかけると、真新しいボールに青いペンで書かれたイチローのサインを、彼は少しはにかみながら見せてくれた。

イチローフィールド 野球を超えた人生哲学

著者 : 丹羽 政善
出版 : 日本経済新聞出版
価格 : 1,650円(税込み)

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