よみがえれ全力の私! 50代の元パート、新興企業で奮闘

東京・六本木のスタートアップ企業、TPOで働く田中水美さん(56)は2年前まで、いわゆるパート主婦だった。
この20年ほど、地元の神奈川県鎌倉市で暮らしてきた。認知症の義母を起こして着替えさせ、デイサービスに送り出した後はパートの仕事だ。夕食は糖尿病の義父向けのレシピを考え、義母の食事は食べやすく刻んだ。夜は絵本の読み聞かせや塗り絵をしながら義母を寝かしつけた。
2012年に義父、16年に義母をみとり、17年には自身の母親も亡くなった。「私って何がしたいんだろう」。ふと人生の先行きを思ったとき、突然脳裏にきらめいたのは、都内の広告会社で働いていた20代の頃の自分だった。もう一度、思いっきり働いてみたい。
だが、いざ職探しを始めると、すぐに年齢の壁にぶち当たった。ネットにあふれる求人も、50代が応募できるのはデイサービスの送迎やコンビニ店員などごくわずか。「年齢不問」でも、書類選考や面接で次々と落とされるのが現実だった。
介護や子育て以外に何もやってこなかったわけではない。大学の通信課程で司書資格を取った。パート先の古美術店では店番だけでなく、海外顧客向けのサイトを見よう見まねで制作した。海外からの買い付け客の対応や、最後は商品のディスプレーも任された。

だが採用試験で書ける職歴は、出産を機に27歳で辞めた広告会社のライターどまり。「営業職10年」「人事畑15年」といったキラキラしたキャリアがないばかりに、子育てに介護、パートとマルチタスクを必死にこなしてきた25年間も「パート主婦」の一言で片付けられてしまう。
職探しに疲れ切っていたとき、ふとテレビで目にしたのが、人材支援サービスのTPOが手掛ける「コーポレートコンシェルジュ」という事業だった。子育てから親の介護、メンタルヘルスケアまで働く人の私生活をサポートするという。
「私が役に立てるはずです」。すぐさま会社にメールを送った。面接では自分の年齢や経験を個性としてみてもらえた感じがした。18年冬、念願の再就職が決まった。
久しぶりの東京通勤。IC乗車券で改札を通るのにも手間取ったり、社内で飛び交うカタカナ言葉の意味をこっそりネットで調べたり。悪戦苦闘しながらも、クライアント企業の社員からの相談に日々応じている。

「介護用のベッド、どんなものを買ったらいいですか」「親を施設に入れたいんですが」。40~50代からは介護関係の相談が多い。突然介護と言われても、どこで何を準備すればいいか分からない。自分が経験してきたからよくわかる。
心がけるのは寄り添うこと。「私も長く介護をしてきてつらかったが、学ぶことも多かった。必ず解決策があるので一緒に頑張りましょう」。母親の介護に悩む40代女性にメールを送ると「同じ経験をした人にしか話せない。ありがとうございます」と丁寧な返信があった。つらいことが多かった介護生活も「人生に無駄なことはない」と思えるようになった。
核家族化が進み、私生活の支援需要は高まっていると感じる。ちょっとばかり年齢がいっていても、たくさんのタスクをこなしてきた主婦に活躍の場があってもいいじゃないか。「がんばってリーダー人材になり、コーポレートコンシェルジュを広めていきたい」。貪欲に目標を見定め、新たなキャリア人生を歩む。
文 藤田このり
写真 淡嶋健人
「年齢」への不安、中高年女性に高く
中高年女性の就職で年齢は大きな壁だ。マイナビ系が就職活動・情報収集中の50代女性223人に実施したアンケートでは、心配事に「年齢」を選んだ人が就業中の人(83.0%)、専業主婦・無職(73.9%)ともに最も高かった。

17年の総務省の就業構造基本調査によると、過去1年間に介護を理由に離職した女性は7万5000人と男性の3倍に上った。歯止めがかからない人口減の中で労働力を確保するためにも、家庭と仕事の両立支援や、女性の再就職機会の創出は待ったなしだ。
多様化する働き方や社会の変化に戸惑いながらも、答えを探す人たちの群像を描きます。