/

タクシー客「我善坊へ」 昭和の五輪後も旧町名に愛着

鉛筆画家 安住孝史氏

旧真砂町高台から菊坂方面を望む(画・安住孝史氏)
夜のタクシー運転手はさまざまな大人たちに出会います。鉛筆画家の安住孝史(やすずみ・たかし)さん(83)も、そんな運転手のひとりでした。バックミラー越しのちょっとした仕草(しぐさ)や言葉をめぐる体験を、独自の画法で描いた風景とともに書き起こしてもらいます。(前回の記事は「えっ、ここでお客様? タクシー運転手のラッキー体験」

僕はタクシーの運転をしながら東京の街の移りかわりを見つめてきました。とくに僕の生まれ育った下町、浅草界隈(かいわい)は昭和の戦争の前から知っています。

まだ街灯も少ない時代、蝙蝠(こうもり)が飛び交う夕方になっても外で遊んでいると、母親が「人さらいに連れていかれますよ」と心配して迎えに来たことを思い出します。昭和20年(1945年)に戦争が終わり、昭和23年の春に疎開先から浅草に戻ったときには、焼けあとの原っぱがまだあちこちに残っていました。当時、国際通りにあった都電の千束町停留場から、直線で1キロメートル余りも先にある松屋浅草のデパートがよく見えたのを覚えています。

そしてタクシー運転手になったのは20代後半の昭和40年です。前年の東京オリンピックの余韻が残る高度成長期で、タクシーにとっては我が世の春でした。このころ大きく変わったのが東京の地名です。小さな町の多くが、より広い地域の一部である「丁目」に置きかえられました。今回はその当時の東京の地名にまつわる話です。

谷間にあった屋根の連なり

ある日、旧国鉄の新橋駅から「我善坊(がぜんぼう)まで」と言って男性が乗って来ました。僕より30くらいは年上にみえる年配の方です。僕が「我善坊! はい」と復唱してすぐに走り出しますと、お客様は「運転手さん場所を知っているの」とちょっとビックリした様子です。

「我善坊は地下鉄神谷町駅の隣にある小チャな町です」と答えますと、お客様は「知らない運転手が多いのに」と大変喜んでくれました。正式には麻布我善坊町で、現在は麻布台の一部になっている場所です。

町名の変更は、あちこちで反対運動が起こってもめた大問題でした。お客様は自分の町の名前に愛着があると感じましたので、僕は「町の名前を無造作に変えるのは、その町の歴史を消してしまうようで反対です」と問わず語りに話しました。

お客様は我が意を得たりと思ったのか、身を乗り出しました。江戸の風情を感じる多くの地名や、それが使われなくなることが残念であることなどを語り、我善坊に到着するまで話は途切れません。そして車を降りるとき「運転手さんは分かっていると思うが、そこを右に曲がると戻らなくても抜けられる」と教えてくれました。我善坊は谷間にありますから、階段などで行き止まりになる細い道があり、知らないと袋小路になるのです。

そのことを思い出したので、先日、現地を訪ねてみたのですが、驚きました。神谷町駅近くから港区立麻布小学校裏まで、広大な土地が都市開発で生まれ変わる工事が始まっていたのです。僕の記憶にあったのは、高台から見た民家の屋根の連なりに人々の生活が感じられる好きな風景でした。工事現場は塀に囲まれていて、高いクレーンが見えるだけです。

かつての風景を描きそびれたことを後悔したのですが、そこでまた思い出した地名がありました。文京区にあった菊坂(きくざか)町です。菊坂という坂道は今もありますが、町名は隣接する真砂(まさご)町などとともに消え、本郷の一部になっています。我善坊の工事を見て、谷間の地形が似ている菊坂周辺は今どうなっているのだろうと思ったのです。

樋口一葉の井戸があるよ

菊坂は運転手の新人のとき、上野駅の南隣にある御徒町駅から乗って来られた少し年上の男性から教わりました。「菊坂まで」と聞き、僕は地図の上で知っていたおおよその位置に向かって走り出します。すると途中で、菊坂とは反対方向に左折するように指示を受けたのです。そして、僕が右折しようと考えていた少し先の本郷3丁目交差点は、昼間は日曜・休日しか右折できないため、少し遠回りするのだと説明してくれました。

菊坂の近くに樋口一葉ゆかりの井戸が残っている(東京都文京区)

菊坂にはお客様の住まいがありました。僕にとっては初めての道であることを知ったお客様は「この先を左に下りていくと樋口一葉の井戸があるよ」と、方角を指さしてうれしそうに口にしました。現在の5千円札に肖像が描かれている明治の小説家、一葉の旧居跡があり、彼女が使った井戸が残っているのです。口ぶりに「お国自慢」に似たものを感じて、よい町なんだなあと感じたのを覚えています。

今の菊坂周辺を旧真砂町の高台から眺めると、モダンな建物が増え、背の高いマンションもありますが、どことなくかつての風情が残っている気がしました。

振り返ると東京の街は、多くの町名まで変えながら発展してきました。活力に満ちた東京の息吹を感じることは楽しいことです。それでも、小さな町がひしめきあって、町名を聞けばほとんどピンポイントで目的地にたどり着けた時代も、悪いものではなかったと思うのです。

安住孝史
1937年(昭和12年)東京生まれ。画家を志し、大学の建築科を中退。70年に初個展。消しゴムを使わない独自の技法で鉛筆画を描き続ける。タクシー運転手は通算20年余り務め、2016年に運転免許を返納した。児童を含めた芸術活動を支援する悠美会国際美術展(東京・中央)の理事も務める。画文集に「東京 夜の町角」(河出書房新社)、「東京・昭和のおもかげ」(日貿出版社)など。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

管理職・ミドル世代の転職なら――「エグゼクティブ転職」

5分でわかる「エグゼクティブ力」
いま、あなたの市場価値は?

>> 診断を受けてみる(無料)

「エグゼクティブ転職」は、日本経済新聞社グループが運営する 次世代リーダーの転職支援サイトです

NIKKEI 日経HR

関連企業・業界

企業:

セレクション

トレンドウオッチ

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン