コロナ後を見据え、広島の魅力再発掘 古谷章子さん
ひろしま通訳・ガイド協会会長(Myway)
インバウンド(訪日客)の案内などを手掛ける一般社団法人ひろしま通訳・ガイド協会。会長を務める古谷章子(72)は、今も現役で活躍するガイドだ。新型コロナウイルスの感染拡大でインバウンドはめっきり減ったが、収束後を見据え広島の魅力をもう一度掘り起こしている。

「覚えたことを伝えるだけではだめ」。相手は何を知りたいのか、それを引き出し、広島とのつながりを感じてもらう。古谷が仕事をする際、常に心がけていることだ。
12年前、ある日系アメリカ人夫婦をガイドしたときのこと。奥さんの曽祖父が広島出身で「自分のルーツをたどりたい」とお願いされた。告げられたのはうろ覚えの寺と今はない村の名前だけ。一晩でその寺を見つけ出した古谷は夫婦をお墓まで連れて行った。「定番の観光地を案内することだけがガイドの仕事ではない」。夫婦に感謝されたときに、改めて実感した。
広島で生まれ、ノートルダム清心高校から広島大学に進んだ。卒業後は英語教師になり、結婚と出産を機に専業主婦となった。育児で多忙ながらも、いつからか自分の眠っている力をもう一度生かしたいと思うようになる。得意の英語と広島への愛が結びついたのがガイドという天職だった。
原爆ドームと厳島神社が世界文化遺産に登録されてから、広島はインバウンド需要に沸いた。それがコロナ禍で訪日客がゼロの状態に。前代未聞だが「これも神のおぼしめし」。協会員のガイド同士でオンライン勉強会を開き、広島の魅力を再発見することに今の時間を充てている。
軍都としての広島、文化都市としての広島――。テーマ別に議論を交わし、これまで忙しくて向き合い切れていなかった「広島」を見つめ直している。
40年以上にわたるガイド歴のなかでも、特別な14年間があった。ハワイ生まれの被爆者、故嘉屋文子が1992年に立ち上げた「嘉屋日米交流基金」では毎夏、米国から奨学生を受け入れてきた。古谷の仕事は2週間にわたる平和研究のサポート。奨学生たちを県内のいたる所へ案内した。
被爆者へのインタビューや遺構の見学に加え、嘉屋のつてで県内の著名人のもとも訪れた。「もっと広島を知ってほしい」という嘉屋の前向きな姿勢には、ガイドとしてだけなく広島県人として感銘を受けた。
ハワイの真珠湾攻撃と、広島への原爆投下という日米にとって互いに悲惨な歴史を直視し、「平和のために何ができるかを奨学生が一生懸命考えてくれた」。嘉屋と出会い、日米の懸け橋の一助になれたことを今でも誇りに思う。巣立っていった奨学生との交流は今も続く。「また皆に会いたい」。コロナ収束を切に願っている。=敬称略
(田口翔一朗)