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龍馬ら志士の魂継ぐ 松下幸之助、霊山再興への思い

時を刻む

志士たちが眠る霊山の墓地。坂本龍馬の墓(左)と中岡慎太郎の墓には今も供花が絶えない

京都の東山三十六峰の中央に位置する標高176メートルの霊山(りょうぜん)。麓の京都霊山護国神社の周辺には坂本龍馬、中岡慎太郎ら明治維新の志士たちの墓石が立ち並ぶ。その数386柱。多くが10~30代の若さで命を落とした。半世紀前、荒れ果てたこの地を整備したのが松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助だ。幸之助はどんな思いで再興したのだろうか。

10月14日の大政奉還の記念日に「霊山表忠之碑」で行われた碑前祭

1867年の大政奉還の記念日にあたる10月14日。護国神社の「霊山表忠之碑」前で恒例の碑前祭が行われた。参列者約15人の筆頭は公益財団法人霊山顕彰会の松下正幸理事長(元パナソニック副会長)だ。理事長は厳かに祭文を読み上げ、玉串を奉納した。顕彰会とは幸之助が霊山の整備と維新の顕彰のため1968年に設立した団体だ。会長(当時は会長がトップ)には自身が就き、代々の理事長は谷井昭雄元社長、中村邦夫元社長ら主にパナソニック関係者が務めてきた。

「あすの日本を考えるために若き人びとにおくる」

霊山の名は釈迦ゆかりのインド・霊鷲山(りょうじゅせん)が由来という。古くから神聖な地とされ、江戸後期に神道葬祭施設が造られた。明治元年(1868年)、明治新政府の太政官布告により神社の前身である霊山官祭招魂社が建立され、以後は国費で志士たちが祭られるようになった。現在は木戸孝允、久坂玄瑞ら3116柱が合祀(ごうし)されている。龍馬や木戸の墓には実際に遺骨も存在すると見られる。戦後はGHQ(連合国軍総司令部)による政教分離をうたう神道指令や第2室戸台風の影響で荒廃した。

5000点を超える所蔵資料を持つ幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」

こうした状況に「日本外史」を著した頼山陽の子孫にあたる方らが胸を痛め、彼らの要請で動き出したのが幸之助だ。すぐに関西財界に呼びかけ顕彰会を発足した。荒廃した墓地を整備し、維新史を調査研究する幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」を創設した。当時の幸之助の思いがわかる映像が歴史館に残っている。「放置されているというような状態やった。それをそのままほっといていいんだろうか。維新の志士の人々にもすまんやないか。(中略)霊山の顕彰をやろうじゃありませんか」

顕彰会が発足した1968年は明治維新100周年。幸之助は戦後日本は高度経済成長を実現したが、心の復興を置き去りにしたと感じていたという。70年代以降、高度経済成長も終わり先行きの不透明感も強まった。志士たちの思いを受け継ぎ、現状を打開しようとした。

「志士たちは立場や主義こそ違え、困難に立ち向かう気概と当事者意識を持って課題解決にあたり、無私の精神で東奔西走した。先人に学ぶことは多い」。幸之助の思いを代弁するのが孫の松下理事長だ。「祖父は歴史館の石碑に『あすの日本を考えるために心をこめて若き人びとにおくる』と刻んだ。使命の達成に向け、新たな取り組みに挑戦していきたい」と話す。

「今こそ抜本的な改革がなされなくてはならない」

開館50周年を迎えた霊山歴史館が力を入れるのがまさに若者への発信だ。今年に入り「龍馬を斬った刀」などをテーマに映像作品を10本製作し動画共有サービスに投稿した。開催中の展覧会「海援隊と新選組」に見られるように、勤王派を祭る霊山にありながら佐幕派も公平に取り上げる姿勢を貫く。「偏りのない視点で幕末・維新史に興味を持ってもらいたい」(木村武仁学芸課長)という。

顕彰会発行の機関紙「維新の道」に幸之助は度々メッセージを寄せた。78年1月10日付では「徳川末期のそれとは質が違っても、広く日本人の間に生じた安易感が、今日のもろもろの問題を起こしている」と断言。そして「今こそ抜本的な改革がなされなくてはならないと思う。いわば"昭和維新"が断行されなくてはならない」と呼びかけている。昭和を令和に置き換えてもメッセージは色褪(あ)せない。(浜部貴司)

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