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「写真も手仕事」 鬼海弘雄、撮り続けた人間

銀ヤンマのような娘(2011) 「PERSONA 最終章2005-2018」(筑摩書房)より (C)KIKAI Hiroh

写真家の鬼海弘雄氏が10月19日、75歳で亡くなった。45年にわたり、浅草の浅草寺で市井の人々を撮り続けた。それらの写真の一部を収めた「PERSONA(ペルソナ)」で2004年に土門拳賞を受賞した。初期には風景とともに写していたが、やがて無地の門をバックに、正方形のモノクロームで撮影するスタイルを確立する。ポーランドの映画監督、アンジェイ・ワイダは写真を見て「すべて日本人なのか? なんと我々と似ているんだろう」と驚いたという。被写体のこれまでやこれからを想像させるだけでなく、性別や国、年齢、立場を超えた人間の本質を丸裸にする。仮面をはいだ、その姿の中にすべての人に共通する「何か」がある。

「味気ない世の中になった……」とこぼす人(2008) 「PERSONA 最終章2005-2018」(筑摩書房)より (C)KIKAI Hiroh

その境地にたどり着くまでは簡単ではなかっただろう。高校卒業後、山形県の職員になるが、1年で退職。法政大学に入学し、生涯師と仰いだ哲学者、福田定良氏と出合う。表現することに憧れを抱き、大学卒業後、トラック運転手や造船所など職を変えながら、写真を始める。「シャッターを切れば写るんだから」(鬼海氏)と考えていたが、撮った写真は「空っぽだった」。何を撮るべきなのか悩み、環境を変えるため、マグロ漁船にも乗った。肉体を酷使する生活の中で、自身の根を固めていった。

4月にお会いした際、「撮っているのは情報ではない。写真も手仕事でないとだめだ」と何度も口にした。大型のカメラを担ぎ、朝から晩まで被写体を辛抱強く待ち続ける。声をかけ許可を取り、ズームは使わず距離をつめ、正面から撮る。その手間は被写体と向き合うための作法だった。鬼海氏は「浅草には故郷や肉体労働で知り合ったような人がたくさんいた。自分にも通じるものがある」と話した。写真に残された普通の人たち。鬼海氏はその中に、自分自身の姿も探していたのかもしれない。(赤塚佳彦)

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