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リスク高い病気、ゲノムで照準 精密医療で予防・治療

東京大学 大学院新領域創成科学研究科 松田浩一(1)

ナショナルジオグラフィック日本版
バイオバンク・ジャパンの運営に携わる東京大学大学院新領域創成科学研究科の松田浩一教授。「DNA保管倉庫」のセキュリティには万全を期している
 文筆家・川端裕人氏がナショナル ジオグラフィック日本版サイトで連載中の人気コラム「『研究室』に行ってみた。」。今回は一人ひとりのDNA情報をもとに予防を含め適切な治療法を選ぶ「精密医療」について、東京大学大学院新領域創成科学研究科の松田浩一教授に聞くシリーズを転載します。多くの人々の救済につながる研究ですが、松田さんの胸には希少疾患に苦しむ患者への思いがずっとともっています。

◇  ◇  ◇

ゲノム研究によって病気のリスクや効果的な治療法を解き明かし、一人ひとりに適した医療を提供する「精密医療」。その実現を世界的にも早くから目指してきたプロジェクト「バイオバンク・ジャパン」の運営に携わる、松田浩一さんの研究室に行ってみた!(文 川端裕人、写真 内海裕之)

東京大学医科学研究所(医科研)は、高級住宅街のイメージが強い東京都港区白金台の地下鉄駅から至近距離にある。表から見る限りは、外来診療も受け付ける「医科研病院(東京大学医科学研究所附属病院)」の関連施設として認識されているだろう。19世紀末、ドイツ留学から帰国したばかりの北里柴三郎を所長に「伝染病研究所」として設立されて以来、常にその時代の最先端の研究施設であり続けてきた。

一と四半世紀がほぼ経過した現在、医科研はいわゆる「精密医療」を実現するための鍵となる事業の舞台となっている。

その事業とは、プロジェクトへの参加に同意した27万人の血液から採取した血清、精製したDNA、そして個々人の診療情報を集積して、研究利用に供する「バイオバンク・ジャパン」だ。2003年に発足して以来、登録者の「その後」もきちんと追跡しており、世界的に見て、追跡期間・参加人数ともに最長・最大級である。どんな遺伝的素養を持った人が、どんな病気になりやすかったか(なりにくかったのか)、どんな薬が効いたか(効かなかったのか)といったことを細かく研究するいわゆる「ゲノム研究」を行って、個々人により適した医療を提供しようというのが「精密医療」の基本的なアイデアだ。

東京大学医科学研究所付属病院の病院棟。正門から入るとまず正面に現れる

医科研内に、DNAや血清を保管する倉庫があり、それらと関連付けられた個人の診療情報のデータベースも構築されている。東京大学大学院の松田浩一教授(新領域創成科学研究科メディカルサイエンス群・クリニカルシークエンス分野)の案内で、DNA保管庫を見学することができた。松田教授は、研究者としてバイオバンク・ジャパン初期からのユーザーであり、現在では運営にも携わっている。

実際に案内されて分かったのは、27万人分のDNAとはいっても、保管スペースはごくごく小さな面積だ。オフィス仕様のビルに導かれ、普通に廊下を歩いていたところ、壁に「DNA保管倉庫」と小さなプレートが貼り付けられていて、「こんなところに!」とまず驚かされた。セキュリティとしては指紋認証を必要とする鍵がついていたけれど、佇まいとしてはひたすらさりげなかった。ぼくの勝手な印象では、「町の図書館」くらいの規模だ。

東京大学医科学研究所の「DNA保管倉庫」

ドアを開けて中に入ると、ひんやりとした空気に包まれた。DNAを安定して保存するために、4℃を維持しているという。つまり、保管庫はそのまま巨大な冷蔵庫だ。夏なら汗が引いて涼しいと一瞬思うだろうが、10分もいれば体が冷えてつらくなってくる。そんな中で、産業ロボットを思わせる機械がきびきびと動いている。移動式のラックの中からDNAチューブがたくさん載せられたトレイを引き出し、必要なチューブをひとつひとつピックアップし、自動分注器でごく少量を取り出した上でDNAプレートの小さな区画に注いでいく。

「27万人分というのは、2003年から始まった第1コホート(集団)の20万人分と、2013年からの第2コホートの6万7千人分、さらに連携機関から受け入れた試料をあわせたものです。第1コホートの参加者は血清も保管されていて、別の部屋で液体窒素のタンクで冷凍されています。それぞれ、特定の病気になった人に採血させてもらって得たものです。プロジェクト内容を説明して理解いただいた上で参加してもらっており、カルテなどの診療情報もきちんとデータベースになっています。試料を利用したい研究者は、自分の目的に合った条件で検索し、必要な試料を指定します」

4℃に保たれた冷たい保管庫のなかで、完全に自動で試料がきびきびと分けられてゆく

ちなみに、特定の病気のリストには、肺がん、食道がん、前立腺がん、乳がんなどの代表的ながんの他、脳梗塞、てんかん、気管支喘息、結核、心筋梗塞、心不全、といったよく名を知られた疾患が挙がっている。日本で比較的多く、重篤になりうるものが選ばれているように思われる。もっとも、丹念に見ていくと、花粉症、アトピー性皮膚炎のように、直接生命にかかわるものではなくても、多くの人が悩まされているものも含まれている。第1コホート(47疾患)と第2コホート(38疾患)では少し変更があるものの、だいたいこんなものと思っていただければよい。

バイオバンク・ジャパンは、これらの疾患を持つ人に限って試料を集める、いわゆる「疾患バイオバンク」だ。第1、第2コホートの募集時には、協力病院にポスターをはったり、パンフレットを置いたりして参加者を募った。そして、参加希望の人がいると、専門の研究支援コーディネーターが赴いて説明した上で同意書にサインしてもらい、試料(血液)と臨床情報などを提供してもらったそうだ。参加した患者は、その後、いかなる時点でも同意を撤回できる仕組みだ。

「始まったのは今から15年前の話になりますので、ゲノム研究といっても全く何のことか分からないという方が多く、研究内容を理解した上で研究に同意いただくために非常に時間をかけてやっていきました。ビデオや冊子を用意して、研究の内容がどういうものか、提供いただいた試料がどういうふうに保管されるのか、どういうセキュリティが施されていて患者さんに迷惑がかかるようなことは一切ないですとか、30分から1時間ぐらいかけてマンツーマンで逐一説明して、同意いただいた場合にのみ研究にエントリーいただくということを27万人に対して行いました。そこまでやったがゆえに、提供してもらった臨床情報はかなり詳細で、1人あたりの項目は5000を超えます。さらに登録時だけでなく、その後、継続して受診した時の検査値などが加わっていきますし、これだけ時間がたつと亡くなる方もでてきますので、そういった情報も追加されていきます」

単純に集めた数がすごいというのはもちろんなのだが、DNA、血清、そして、詳細に更新され続ける臨床的な情報までをきちんと紐づけて利用できるように、すべての参加者から「インフォームドコンセント」を取るという部分に手間をかけているのである。

それでは、このバイオバンク・ジャパンの試料は、どんなふうに利用されているのだろうか。目標である「精密医療」(松田さんたちの言葉ではオーダーメイド医療)を実現するためにはどんな研究が必要なのか、研究者としてバイオバンク・ジャパンのユーザーであり、現在は管理者でもある松田さんに順を追って聞いていこう。

DNA保管庫から少し離れたところにある会議室で、松田さんは「事始め」の部分から説き起こした。

「ヒトゲノム計画というものが20世紀の終わりにありまして、2000年にヒトのDNA配列、つまり遺伝情報の『ドラフトシークエンス』が出ました。とりあえず全部読んだけれど、まだ完全ではない状態です。それを世界中の研究者が協力して完全なものにして、ヒトゲノム計画が完了したのが2003年です。とにかく読めるんだということが分かって、ただ、その遺伝暗号がどういう意味を持っているかはまだよく分かっていないというのが当時の状態でした。バイオバイク・ジャパンの第1コホートが始まったのはまさに2003年です。まだ日本の医学研究では、一つひとつの遺伝子の機能を細胞やノックアウトマウス(=特定の遺伝子の機能を消失させたマウス)などを用いて丹念に調べる分子生物学的なアプローチが中心になっている時代で、網羅的にDNAの情報を調べるというゲノム研究で本当に成果があがるのか疑問視する人もいました。立ち上げた中村祐輔先生(当時、医科研。国立がん研究センター研究所所長、米シカゴ大個別化医療センター副センター長などを歴任)からは、運営や維持に苦労されたと聞いています」

今でこそゲノム医療というときらびやかな響きを感じるし、基礎研究でも「DNA」やら「遺伝子」やらが絡むものはごく普通になっている。しかし、21世紀のはじめはそれは主流ではなかったどころか、意義すら疑問視されていたというのである。隔世の感がある。

「今はいろんな情報が集積されてきて、研究レベルではいろんなことが分かってきています。たとえば、様々ながんですとか、心筋梗塞、糖尿病といった病気の人がどんな遺伝子タイプを持っているか、データが蓄積されてきているんです。そういうことが分かれば、まだ病気になっていない時点でも、予防のための生活指導や、早期発見のための検診ができますよね。そして万が一病気が見つかった場合は、適切な治療法を選べるような研究が進んでいます。いわゆる精密治療、"precision medicine"といわれるものを、我々はオーダーメイド医療と呼んでいまして、予防も検査も治療も、個人の遺伝情報の違いに応じて最適なものを選べるようにできればと考えているんです」

たしかに〇〇病になりやすいと分かっていれば、予防のためにいろいろ気をつけられるし、また定期的に検診を受けるモチベーションになるだろう。自分ががんになりやすいかどうかなど知りたくないという人もいると思うが、知ったら知ったなりの対処法があるというのがポイントだ。

さらに、いざ病気になった時に治療法も最適なものを選べるようになるというのはどういうことだろう。

「薬の選び方などがよい例だと思います。現状では、7割の人に効くけれども3割の人には効かないような薬Aと、5割の人に効いて5割の人に効かない薬Bなら、お医者さんは最初に薬Aを選びます。でも、副作用が強く出たり、そもそも効かなかったりすると、Bを試してみるわけです。でも、患者さんの遺伝子タイプで効く人、効かない人、副作用が出る人、出ない人、というのが事前に分かれば、これまで医師のさじ加減だったものが、最初から根拠をもって選べるわけです」

精密医療の実現には、バイオバンクに保管されるDNA試料が大きな鍵を握っている

なお、研究の材料となるゲノムについて、松田さんが(というか、バイオバンク・ジャパンが)主に扱っているのは「パーソナルゲノム」と呼ばれるものだ。それに対して「がんゲノム」を対象にする研究もある。違いはというと、人の健康な細胞のゲノムを見るか、がん細胞のゲノムを見るかだ。がん細胞は、もともと通常の健康な細胞だったものに異常が蓄積されてがん化したものだから、健康な細胞のゲノム(パーソナルゲノム)とは微妙に違っている。そして違う部分を見つけて、このタイプの変異を持つがんにはこの薬が効くといった知識を確立していくことができる。また、違いをもとに、そのタイプのがん細胞のみを選んで攻撃する薬を見出せることもある。叩くべき敵を知る(がんゲノムを調べる)ことは、がんの治療法の探求において有力なアプローチだ。

このような違いを踏まえた上で、松田さんが一番深くかかわってきたパーソナルゲノムの話から次回は進めていこう。

キーワードとしては、SNP(スニップ)、一塩基多型。

この不思議なワードの解説をしてもらいつつ、精密医療の世界へと踏み込もう。

(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2019年1月に公開された記事を転載)

松田浩一(まつだ こういち)
1969年、大阪生まれ。東京大学 大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 クリニカルシークエンス分野 教授。M.D., Ph.D. 1994年、東京大学医学部医学科卒業後、整形外科医の勤務経験を積んだのち、基礎研究を志して1999年、東京大学大学院医学系研究科外科学専攻に入学。2003年に米国ベイラー医科大学研究員になり、博士号も取得。2004年、東京大学医科学研究所、ヒトゲノム解析センター助手に就任。2009年に准教授になり、2015年より現職。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、肺炎を起こす謎の感染症に立ち向かうフィールド疫学者の活躍を描いた『エピデミック』(BOOK☆WALKER)、夏休みに少年たちが川を舞台に冒険を繰り広げる『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその"サイドB"としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、「マイクロプラスチック汚染」「雲の科学」「サメの生態」などの研究室訪問を加筆修正した『科学の最前線を切りひらく!』(ちくまプリマー新書)
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。

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