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僕は方向示すダイレクター うまく「盗んで」成長する

劇作家・演出家 野田秀樹氏(上)

劇作家・演出家 野田秀樹氏

劇作家、演出家の野田秀樹さんは長年、演劇界最前線で活躍してきた。東京大学在学中に立ち上げた劇団で若手の旗手として注目され、海外公演や歌舞伎とのコラボレーションなど、活動の幅を広げてきた。野田さんは自身を「リーダーと言うより、方向を示すダイレクター」だと分析する。そして「人のやり方をまねしたり、盗んだりすることで学んできた」と、常に成長に結びつける姿勢の大切さを語る。

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――自分はどのようなリーダーだと思いますか。

「こういう職業なので、リーダーだとか、あまり考えていないですね。でも、演出家として稽古場を仕切らなくてはいけないので、リーダーと言うよりダイレクター(director)、方向を示す人間というのかな」

「英国のロンドンで20年くらい前に芝居をしたときです。食事から稽古場へと帰る途中、俳優としゃべりながら歩いているうちに、『あれ方向、違わない?』となりました。2人とも方向音痴だったんです。『ダイレクター(演出家)なのに方向感覚が間違ってる(wrong direction=ロング・ダイレクション)』と盛り上がって、稽古場でもそう呼ばれました」

「演出の仕事というのは、自分が面白くないと感じたときに、『何か舞台上に嘘があるな』と見つけることなんです。昨日まですごくいいシーンだったのが、突然嘘っぽく見えるときもあります。そうしたところを見抜いて拾っていくのが、演出の一番大事なところだと思います」

――嘘っぽく見える、というのは。

「演技がその役者のものになっていないのに、たまたま面白いと言われたからやり続けている、という場合などです。そういうときは全部最初からやり直します。単純にセリフの問題のときもあります。舞台では、声の圧力でリアリティーがすごく変わってきます。長期公演で疲労がたまっていたら思い切って休みにしたりするときもあります」

「疲れる」は「憑かれる」

「この『疲れる』という言葉は、演劇では憑依(ひょうい)の『憑(つ)かれる』に通じます。疲労感というのは実は取りつかれるに変わることがあるんですね。疲れているはずだけど、スコーンと抜けていくというか。でも、役者にいきなり『憑依しろ』なんて無理なので、遊びから入ることが多いですね。遊んで動いて、激しい鬼ごっこをやったりしてから、稽古に入ったります」

「20歳代のころから動いて芝居するのが好きだったからでしょう。よそではフィジカル(身体的)な稽古はどうやっているかなと、こっそりのぞかせてもらって盗んできたりしていました。僕は劇団の研究生になったことがなくて、ちゃんと演劇を学んでいないので、そういう剽窃(ひょうせつ)というか、盗むところからやっています」

――技術や姿勢を見て「盗む」というのは仕事にも通じそうです。

「演劇だけじゃなくて、絵画など芸術表現の基本じゃないですかね。演劇も、能を大成した世阿弥の言う『ものまね』のように、まねることから学びが始まるんだと思います」

「例えば原始時代に、火の周りを囲んだ人たちが、『きょう、あそこでこんなやつと会ってきた』とかやってたのが、演劇表現の始まりだったんじゃないですかね。剽窃という意味で言うと、作家の故井上ひさしさんと戯曲とか演出について『最近の若いやつは盗み方が下手だよな、もろバレみたいな。盗むならもうちょっとうまく盗まないとダメだよね』という話をしたことがあります。もちろん、本当に盗むのはダメですよ」

「夢の遊眠社という劇団を手がけていた1980年代半ばに、国際的に有名な英国のエディンバラ国際芸術祭の委員長が日本に来ました。その際、『面白い若い劇団はないのか』とウチの芝居を見にきてくれて、芸術祭に誘われたんです。『行けるものなら行きますけど』と、当時の僕にはシンデレラの夢みたいな話ですよね。翌年、下見で芸術祭を見にいったら、その委員長が手がけるオペラで僕の演出をそのまま使っていました。単純に『あーっ』て思いましたね。芸術祭には87年に参加しました」

長崎県で生まれて、東京都で育つ。小学生のときは学芸会の芝居で裏方をつとめた(小学生時代)

「でも、同じ演劇界の人より、スポーツやビジネスのリーダーを見ていると、『こういうふうに考えるんだな』と参考になりますね。『こういう言葉を使っている。いいなあ』とか。逆もあって、サッカー日本代表の監督だった岡田武史さんが、私の稽古場を見にきてくれたことがありました。『何かヒントありましたか』って聞いたら、『結構いろいろ面白かった』と。それが何かは今でもわからないですけど」

――92年に劇団を解散して、ロンドンに留学しました。

「劇団の座長はリーダーと言えるんでしょうが、組織が組織を維持するためだけの組織になっていくと感じたため、解散を決意しました。劇団で先輩格の人が必ずいい役に付くとか、そういう組織にしたくないと思っていましたが、10年、15年と続くと、だんだんそうなってしまった。若い役者を抜てきしようとすると不満が出ることも増えて、『終わっちゃった方がいいのかな』と思いました」

人気絶頂、観客に対しても不安が

「それと、人気絶頂とか言われて、お客さんに対しても、『本当に面白いと思って来ているのか、ただ有名だから来ているのか』という不安がずっとありました。家庭を持っている役者もいましたから、劇団の役者のための事務所(現在のシス・カンパニー)に全部、役者の今後の生活をお願いして留学をしたんです」

「ロンドンでは、とにかく自由で幸せでした。それまでの5、6年、ずっと他人のことを考えていたんだな、いつの間にか組織が自分の上に乗っかってきていたんだ、と分かりました。ロンドンでは役者としてワークショップに入りました。日常的に稽古して、その果実として上演できるという、劇団を始めたころの組織の姿のよさが、そこで分かったんです。帰国してから、お金を稼ぐためではなく、ものをつくるためのワークショップを始めました。僕の方から交通費程度を払うスタイルです。役者って日銭をもらっていない人が多いから、すごくうれしがっていました。僕自身も大きい劇団という組織を抱えた立場から、ちょっと離れたことに取り組めました」

――理想のリーダー像はありますか。

「理想的かどうかはわからないけど、演出家の、いのうえひでのりさんが主宰している『劇団☆新感線』という劇団がありますよね。緩さをちゃんと備えながら、組織として何年も続けていて立派だなと思います。表現の仕方についてはひと言あるんですが、趣味の問題ですからね。彼は組織の維持の仕方がちゃんと分かっていて、すごくいいんじゃないですかね。劇団員は演劇以外の仕事もやりながら、生活もできていますし」

休日の過ごし方を聞くと「今はないですね。子どもを4人育てているんです。年取ってからの子どもなので、もう地獄ですよ」と笑う。一番下の子は乳児で「おむつを替えたりとか世話はもちろんしますよ。しないと回らないですから」。趣味についても「夢のようなことを今聞いたような気がする。趣味とか持ってみたい」

「今の時代、テレビのドラマや映画が演劇の役者を欲しがっています。例をあげれば、古田新太さんや阿部サダヲさんなどです。僕たちが20歳代のころはまったくそういう仕事がなかった。私なんかは、ほぼ演劇だけで生きてきた最後の最後かな」

――成功したと感じた初めての体験はどのようなものでしたか。

「自信になったのは、22歳で大学生のとき、東大の駒場キャンパスの元食堂を改装した駒場小劇場で『怪盗乱魔』という芝居をやったときです。千秋楽に劇場のキャパシティーの3倍の600人くらいのお客さんを集めたことが、大きな成功体験になりました。芝居は自転車に乗った役者がやって来てチリーンと始めるんです。でも、人が多すぎてなかなか開演できなかったので、その役者が30分放っておかれたままで……。ちょっと悪かったなと思っています」

知らないことは、口を出しすぎない

「経験を重ねて、気をつけるようになったこともありますね。自分が知らないことについては、口を出しすぎない方がいいというのが分かってきました。歌舞伎やオペラの演出も手がけてきたんですが、演劇的に見て『これができないんだ』とか思ってしまうこともあります。でも、相手も同じことを僕に対して思っているはず。10月末から東京芸術劇場(東京・豊島)で歌劇『モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」~庭師は見た!~』を手がけますが、僕は音楽は分からないので口を出さない。もとにある世界を壊さないよう気をつけています」

――逆に、今に生かせている失敗の経験はありますか。

「2003年にロンドン公演した『RED DEMON』という芝居ですね。まず過信があった。普段は長い稽古時間を取るんですけど、たった3週間の稽古で上演しました。さらに、私の英語力がまったくダメで、役者に意思が伝わらないし、脚本の翻訳も失敗してギャグが通用しなかった。それで英国の劇評家からあり得ないほど酷評されたんです」

「でも、後から考えればそれがよかった。『英語をしゃべってあいつらを説き伏せないと』と、3年ほど英語を猛勉強しました。その結果、06年にロンドンで『THE BEE』という芝居をしたときには、非常に当たりました。最初からアイルランドの作家と一緒に英語で脚本を書いたんです。『RED DEMON』のときは英国と日本の文化的な違いをうまく表現できなかったんですが、それでも『面白かった。次にやるときは声をかけて』と言ってくれた俳優さんがいて、『THE BEE』に出てくれました。最初に酷評されたおかげで、色々学ぼうという気持ちになって頑張れて、最後は実を結んだんだと思っています」

野田秀樹
1955年長崎県生まれ。東大在学中に「劇団 夢の遊眠社」を結成。92年劇団解散後、ロンドンに留学。93年に演劇企画制作会社「NODA・MAP」を設立。『キル』『赤鬼』『THE BEE』『エッグ』など、数々の話題作を発表。オペラや歌舞伎も手がけるほか、海外での創作も多い。2009年名誉大英勲章OBE受勲。11年紫綬褒章受章。

(笠原昌人)

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