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万葉集を体感、関西は格別の環境 上野誠さん

関西のミカタ 万葉学者

うえの・まこと 1960年福岡県生まれ。国学院大学大学院博士課程満期退学、文学博士。2004年から奈良大学教授。主著に「折口信夫 魂の古代学」「万葉学者、墓をしまい母を送る」ほか。万葉世界を題材にしたオペラの原作・脚本も手掛ける。

■柔らかい語り口で古代の人びとの恋愛観や死生観を読み解く万葉学者の上野誠さん(60)。福岡県に生まれ、東京で学び、奈良県に暮らす。3つの文化圏を比べると、関西圏は「カベが高い」という。

福岡に19年、東京に12年暮らし、関西住まいが29年になる。関西の印象をひと言でいうと「新規参入が難しい」。ただいったん、なかに入ってさえしまえば身内扱いされ、なんとも快適。カベが高いのだが、その内では自由だ。

31歳で奈良に来た。研究者としては若造のころ。3カ月ほどかけて、60~70カ所、挨拶回りに出向いた。すると先々でお薄(茶)を振る舞われる。どうやら作法を観察されているらしい。緊張する瞬間だ。あらかじめ師匠に言い含められていたのは「下手に訳知り顔で茶わんを回したりするな。『私は何にもわかりません』で通せ」。

そこで一計を案じた。「京都には表千家や裏千家などいくつも流派があるようです。ここはひとつ『斜め千家』ならぬ『上野千家』でいかせてもらいます」と冗談で不作法をカバー。これでうち解けてカベの中に入れてもらえた。以来、交流先が広がり、展覧会や舞台公演に招いていただくようになった。

■半面で、付き合いの難しさも学んだ。

古代学の大御所だった故・上田正昭京都大名誉教授に、関西や学界でのしきたりを教えられた。上田先生も研究者になるまで回り道をした苦労人。京大に先立ち国学院大学専門部に在籍されたことから同門のよしみもあり、かわいがってもらった。先生からある日、白封筒を渡され、お使いを頼まれた。先生と同行したこともあるお茶屋への支払いだ。独りでそのお店にうかがうと、台所みたいなところに通されて、まかないの酒食をごちそうになった。

「体感する万葉」がモットー。古代の装束で平城宮跡を歩く

これには2つ側面がある。先生側は、ひいきの店に若い客を紹介したという面。お茶屋側も「先生が目をかけている少壮研究者を、親身にもてなした」と得意客の顔を立てたことに。これが3回ほど続いたころ、あるとき先生から「君もそろそろ給料取り。自腹で訪ねてみなさい」と言われた。ああ、これがいちげんさんお断りの世界への通過儀礼だったのかと実感した。

なじみ客の一人になると、学界や文壇の賞を受賞するたびに、いち早く察知したお茶屋からお祝いの花が届く。必然的に受賞記念の宴会はそこで開くことになる。

宴会後、女将から接待の心得を諭されたことも。「あんたが機転を利かせて主賓のそばに芸妓(げいこ)の椅子を運ばんと」。芸妓の椅子は末席にあり、店の者でも勝手に置き換えはできないからという。

■店が客を育て、その客が若い客を紹介し……。それはさておき、関西は万葉学者には、格別の研究環境でもある。

30人ほどいた候補から選ばれ、奈良大学に奉職できたのはラッキーだった。「なんで東京などから採用するんだ」という声もあったと聞く。このため研究者として低姿勢を貫くよう心がけてきた。大学には故・水野正好先生や白石太一郎、東野治之といった考古学・歴史学のそうそうたる重鎮が在籍。古社名刹は数多いうえ、奈良文化財研究所や橿原考古学研究所といった公設の研究機関も近く、出土した文化財から新たな知見を吸収しやすい。なにより万葉集のうたが詠まれた舞台で研究するのは私のモットー「体感する万葉」にも重なる。

今後の抱負だが、万葉集の注釈書を書く。各巻300ページ前後で全20巻ほど。最低でも10年かかる。これまでにいくつもの注釈書が刊行されてきたが、学問も時代の産物。書かれた時期の時代相に知らず知らず影響を受けるし、表記することばも古めかしくなる。令和の、つまり今日に読まれる注釈書は、生活感に重心を置いたものにしたい。(編集委員 岡松卓也)

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