66歳からのダイエット 視野広げる新たな出会い
ボディービルダーで、数々の大会で優勝した経験を持つシャイニー薊(あざみ)さんの指導を受け、「あいのりダイエット」という企画に取り組んでいる。9月中旬からの2カ月間で体脂肪率を20%から15%に落とすのが目標だ。

医師をしている息子が何かのセミナーを聴きにいった際、横にいたのがシャイニーさんの知人で、「コラボでダイエット企画をしましょう」と意気投合。66歳のなかでも元気な方の私がやると面白いだろうということで、挑戦することになった。
食事の量を減らすのではなく、栄養バランスの良い食事をとることで体脂肪を減らすのが主眼。かつて料理人をしていて、栄養の知識が豊富なシャイニーさんのオリジナル料理に「沼」というものがある。コメや干ししいたけ、ワカメ、オクラ、鶏肉のかたまりを炊飯器に入れ、たっぷりの水で炊き上げる。どろどろとした見た目が名前の由来のようだが、味は絶品。妻が作って食べたところ、おいしい上に「ウエストが細くなった」と効果を実感し、今では私よりダイエットにはまっている感がある。
このシャイニーさんの減量食のほかに、妻が作る栄養バランスの取れた食事のおかげで、たちまち体脂肪率が1.3ポイントほど落ちた。皮下脂肪を落とすのは大変だが、内臓脂肪は案外落ちやすいという。毎回、食事の写真をシャイニーさんに送って指導を仰いでおり、2カ月間でどこまで落とせるか楽しみだ。
ウエートトレーニングで驚かれる
企画を始めるにあたり、シャイニーさんの指導の下、東京のジムでウエートトレーニングもした。座って足を下ろした状態から足首の前側で重りを上げるレッグエクステンションで、一番重い負荷を上げると驚かれた。足を開いて椅子に座り、両方の内ももで挟み込むようにパッドを押すメニューでも最大負荷をクリアし、「本当に66歳ですか」とシャイニーさん。
昔取った杵柄(きねづか)だろうか。中日時代、あおむけになって板状のものを足裏で押し上げるレッグプレスで、100キロのバーベルと同僚4人を乗せた状態で押し上げたことがあった。1人の体重が80キロとして4人で320キロ。バーベルと合わせて400キロ以上の重りを上げたことになる。3人までならほかにも成功した選手がいたが、4人をクリアしたのは私だけだった。300キロまで測れる背筋力の測定では、私と小松辰雄だけが針を振り切った。

もともと体の強さには自信があった。同志社大で色々なクラブの1年生が集まって体力測定をした際、やはり背筋の機械が振り切れると、ラグビー部の名将、岡仁詩さんが「ラグビーをやれ」と本気で誘ってきた。「野球ではジャパンになれないかもしれないが、ラグビーならなれる」。導かれるままに転向していたらどんな人生を歩んだだろうか。ちなみにその後、ジャパンの一員として日米大学野球選手権に出場した。
身長173センチの私はプロに入った当初、体重が76キロだったが、ウエートトレーニングに取り組むと筋量が増えて79キロに。これがベスト体重で、引退後もおおむねこの数値を維持してきた。フルマラソンにチャレンジするようになってからは体重を落とし、100キロマラソンに向けて最も少なかったときが73.3キロ。体重1キロの違いは相当なもので、73キロ台で100キロマラソンを走った際は、74キロで初めて完走したときからタイムが約30分も縮まった。
人生が変わったような感覚をもう一度
73キロのときは本当に生活が楽だった。階段の上り下りも全く苦にならない。これを新たなベスト体重に位置付けようかと思ったが、ついおいしいものをたくさん食べてしまい、何カ月後かには79キロに。別の意味で楽な方に流れてしまった。今回、シャイニーさんの導きで体重と体脂肪率を減らし、人生が変わったように感じたあの体験が再びできればと思っている。
ユーチューブの公式チャンネルに載せた、シャイニーさんとのトレーニング風景の動画に「まさかのコラボでびっくりした」というコメントが寄せられた。私自身も同じ気持ちで、ボディービルダー、しかも33歳と私の半分の年齢の方と接することになるとは思ってもいなかった。自分とは縁遠いと思っていた世界の人と知り合うのは楽しい。ともすると年齢を重ねると閉鎖的になりがちだが、何歳になっても自分の視野を広げていくことは大切だ。柔軟に、色々なことを取り入れたいと思って暮らしているから、今回のような出会いがあったのかなと思っている。

私が最も尊敬する選手は年を取ってもプレーできる人だ。若いうちは能力だけでも結果を残せるが、年齢を重ねても高いパフォーマンスを維持するには努力が必要。才能にあぐらをかかず、努力を怠らない姿勢は同僚や首脳陣の信頼も呼ぶ。先日、サッカーJ1の最年長出場記録を更新した横浜FCの53歳、三浦知良選手などはその典型だろう。
年齢だけを見て「カズは人生の峠を越えた」とみる人もいるかもしれないが、三浦選手は新しい峠を登る思いで50代の日々を過ごしているのではないだろうか。峠を登っては下り、また次に現れる峠を目指す。その繰り返しが人生だと思えば、いくつになっても挑戦心が失われることはない。
(野球評論家)