/

フレンチアイビーの師匠、ケンゾーとの早すぎる別れ

コラムニスト いであつし

1999年10月、パリで開いたファッションショーで、モデルらに祝福される高田賢三さん=ロイター
記者会見でのスーツ姿、人気ドラマの主人公のファッションなど、メディアで話題にのぼる人の着こなしは気になるもの。そんな「ニュースな人」のファッションの背景にあるものとは。男性ファッションに詳しいコラムニスト、いであつし氏が解説します。



パリでブーム起こした「KENZO」

高田賢三さん(1998年)

つくづくコロナが憎い。日本を代表する世界的なデザイナー、高田賢三氏が新型コロナウィルスの感染で亡くなった。享年81才。ケンゾーの偉大なる人生のランウエーの幕を閉じるには、まだまだ早すぎる。

今どきの若い世代はケンゾーというと、「KENZO」とデカデカとブランドロゴとタイガーのイラストが描かれた大阪のおばちゃんが着るようなビックシルエットのスエットを思い浮かべるだろうが、あれは高田賢三氏からブランドを引き継いだクリエーティブディレクターのウンベルト・レオンとキャロル・キム時代のコレクションである。

やはり筆者の世代にとってKENZOといえば、それこそ今のこのコロナ禍で閉塞した重苦しい時代の気分を一掃してくれるような、華やかで、かわいくて、明るくて健康的な、花柄のギャザーが入ったティアードミニスカートスタイルだ。

若かりし頃に高田賢三氏が船でアジアや中東、アフリカを回って渡欧した時に寄港した先々の町で見た多彩な民族衣装からヒントを得て生まれた、「フォークロアルック」と呼ばれる、パリで大ブームを起こしたKENZOの代表的なコレクションのひとつである。

日本でも1980年代の中ごろ、KENZOのティアードミニスカートや、同じくパリで活躍していた日本人デザイナーの入江末男氏が手掛ける「IRIE」、島田順子氏の「49AV.JUNKOSHIMADA」などが、パリジェンヌのスタイルに憧れる女性たちの間で人気になった。

日仏合作映画「夢・夢のあと」製作発表で写真に納まる高田賢三監督(1980年、東京都内のホテル)=共同

雑誌「アンアン」では、ファッションと共にパリで暮らすデザイナー自身のおしゃれなライフスタイルがよく特集された。当時付き合っていた彼女に、KENZOの花柄のティアードミニスカートやイリエのマイクロミニスカートに「トキオクマガイ」のアニマルモチーフのパンプスをはかせて、憧れのパリジェンヌを気取ってもらったものである。いやはや筆者も若かったのだよ。

この頃のアンアンは男性が読んでも面白かった。なにしろSNSも何もない時代である。リアルなパリの情報を得られるのが当時のアンアンであったのだ。とりわけ筆者が食い入るように見ていたページが、誰あろう、高田賢三氏本人が出ているページである。

ラルフ・ローレンしかり、ジョルジオ・アルマーニしかり、よくデザイナー本人の普段の私服スタイルこそが一番おしゃれで着こなしの参考になると言うが、筆者にとっては高田賢三氏の私服スタイルがまさにそれである。

私服スタイルはパリ風

第一線を退いた晩年になってからのグレイヘアに合わせたモノトーンを基調としたシックな着こなしも格好いいが、80年代の中頃の高田賢三氏の私服スタイルは、今見ても本当に格好いい。ぱっと見はきわめてコンサバなのだが、しいてカテゴリーで分けていえば、いわゆるフレンチアイビーというスタイルだ。すぐにでも着こなしの参考になる。

シックな着こなしの高田賢三さん(2019年)=共同

例えば、パンツは大抵いつもコインポケットの付いたタック入りで、ややテーパードシルエットのチノパンツをはいていた。おそらく、フランスのパンツブランドの「ベルナールザンス」か、あるいは「オールドイングランド」のものと思われる。これにプンターレ(金具のチップ)の付いたウエスタンベルトを垂らして合わせているところが、いかにもパリジャンらしいチノパンツの着こなし方である。

チノパンツに合わせて着ていたのは、上質なブロード生地のドレスシャツ。それもトラッドな細かいブルーのギンガムチェックやエンジの格子といったカジュアルな柄モノである。なんでも、忙しい仕事の合間をぬってはパリの「ターンブル&アッサー」で生地から選んで同じ柄、同じ型を何十枚とオーダーして仕立てていたのだそうだ。筆者も数年前にロンドンで初めて「ターンブル&アッサー」に行った時に、長年の念願がかなって高田賢三と同じブルーのギンガムチェックのドレスシャツを思わず購入してしまいました。

靴はカジュアルな茶色のオックスフォードタイプを好んではいていた。てっきりワークシューズかと思ってまねをしてアメリカ製のオックスフォードタイプのワークシューズを買って履いたりしたものだが、おそらくあれは当時まだ日本であまり知られていなかった「J.М.ウエストン」のゴルフだったに違いない。足を組んだ時にチラリと見えるソックスがエンジ色のホーズソックスというところも、まさにフレンチアイビーのお手本である。

自分が着たい服をそろえていた「ケンゾーオム」

この格好でよく着ていたのが千鳥格子柄のジャケットである。コンサバなジャケパンスタイルでも、首元に大判の上質なストールを無造作にぐるぐると巻いたりしていた。こういういかにもパリジャンらしい着こなしは、簡単なようで実は日本人にはなかなかまねができないテクだ。

着物の帯で作ったスーツ姿の高田賢三さん(2001年、東京・原宿)=共同

そんな高田賢三氏の私服のセンスをカタチにしたのが、当時発表されたばかりの「ケンゾーオム」である。モードなレディースのコレクションと違ってケンゾー自身が着たい服で、ネイビーのブレザーや、きれいな色のタータンチェックのパンツといったトラディショナルなアイテムをそろえていた。そこにヴィヴッドなパープルやコバルトブルーの遊び心がある細身のタイを合わせたりするところも、いかにもケンゾーオムらしかった。

筆者もライザミネリ風のダンサーの刺しゅうが小さく入ったケンゾーオムのパープルのタイを持っていたが、これがフレンチアイビー初心者の若造にはなかなかに手ごわくて、ちっとも上手に着こなせなかったのを覚えている。

ちょうどこの頃のパリの街には、「エミスフェール」、「オールドイングランド」、「マルセル・ラサンス」、「アニエスb」といったブランドやショップが続々とオープンして、まさに時代はフレンチアイビー、フランス版プレッピーのBCBG(ボンシック・ボンジャンル)ブームを迎えていたのだ。

今回はつらつらと筆者の高田賢三氏への想いを勝手に書きつらねてしまいました。最後に、もう一度言わせてもらうぞ。偉大な才能を次々と奪ってしまうコロナがつくづく憎い。

Adieu! ボクのフレンチアイビーの師匠ケンゾー!

いで あつし
1961年静岡生まれ。コピーライターとしてパルコ、西武などの広告を手掛ける。雑誌「ポパイ」にエディターとして参加。大のアメカジ通として知られライター、コラムニストとしてメンズファッション誌、TV誌、新聞などで執筆。「ビギン」、「MEN'S EX」、JR東海道新幹線グリーン車内誌「ひととき」で連載コラムを持つ。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

セレクション

トレンドウオッチ

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン