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許し合う中庸の精神 極端な思考やめ、相手受け入れ

2016年チリ・パタゴニアのレース。胸突き八丁の約100キロ地点を駆け抜ける

近年、性的マイノリティーや仕事観など多方面において、個性や人と異なる考え、行動を尊重する社会になってきていると感じていた。ところが、コロナ禍のような非常事態に陥ると、日本人はこれまでと何ら変わっていないことを露呈したように思う。ウイルスの脅威もさることながら、社会を支配する空気、あえて言えば「人」が最も怖いという変わらぬ現実だ。

たとえば自粛警察やマスク警察、県外ナンバー車への嫌がらせ、それを助長させるような行政の対応、必死の思いで営業を再開する事業者への心無い誹謗(ひぼう)中傷――。私自身もランニング中に自粛警察なるものに遭遇した。まるでこれまで聞いてきた戦時中のようで、不気味だった。

海外ではこのような動きがあると個人レベルで反発するらしい。日本では、感染拡大を防ぐという正義感もあってなのか、むしろ追従する者まで現れ、メディアも半ば容認し、おおっぴらには反論しないし、できない空気がある。このような日本人の従順さは少々、奇妙でもあるけれど、日本独特の同調圧力が感染の広がりを他国に比べて抑える一助になったとも考えられるので話はやや複雑になる。

私個人の意見として言わせてもらうと、やはり感染拡大より社会生活の息苦しさの方が怖い。以前、当コラムでも書いた。幼い頃、第2次世界大戦を経験した祖父から「あの時には、戦争を否と言えない雰囲気があった。戦争が進むにつれ、国家による言論統制が進み、自由にものが言えなくなる。実はそういった統制の前から、抗しがたい社会の雰囲気があり流されるように戦争に向かっていった」と繰り返し聞いた。社会全体の大きなうねりのなかで個人の考えが抹殺される怖さとは、現在起こっているようなことだったのだろうか。

山岳地帯の160キロメートルを駆け抜けるウルトラトレイルの世界ではレース中に幾度となく心が揺れ動く。「このペースであれば最後まで行ける」と楽観視することもあれば、苦しさからレースをやめることばかり考えることも。振り幅の大きい心のアップダウンで精神的スタミナを消耗しないためには「中庸の心」を失わないことが大切になる。極端な考えにとらわれそうになっても、常にあるべき真ん中のポジションへ戻る心持ち。時に苦しさから自暴自棄になったとしても、最終的にゴールに身を運ぶのだという原点に立ち戻り、そこに心をとどめ置いて完走までこぎつけるのである。

今回のコロナ禍は、経済や社会活動を取り戻しつつ感染症と付き合うしかないことがわかってきた。適切な感染対策をとりながら社会全体が極端な思考や行動に走ることなく、人それぞれに寛容な気持ちを保ち、みんなでゆっくりとゴールを目指すべきなのだろう。

日本のみならず、世界各地で社会の分断を進行させているという感染症の恐怖。どんな困難な状況下でも人間は幸せに生きる力を持っている。自分だけが正しいと凝り固まることなく、他者を許し、時には互いの行為を受け流せる、穏やかな中庸の心でみんながつながっておきたい。

(プロトレイルランナー)

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