在りし日の炭鉱語り継ぐ 閉山半世紀、北海道羽幌
朽ち果てる巨大な工場や煙突、4階建てのアパート――。1940~70年に稼働した北海道羽幌町の炭鉱は閉山から半世紀がすぎた。「ここに人の営みがあったことを知ってほしい」。幼少期を過ごした同町の工藤俊也さん(61)は15年前から炭鉱のガイドとして、訪れる人に在りし日のにぎわいを語り継いできた。

8月末、町中心部から東に20キロ付近の山中。最盛期には約1万3千人が暮らした羽幌炭鉱は、草に覆われた鉄骨の廃虚が点在していた。工藤さんは「劇場には宝塚歌劇団も訪れた」と振り返る。
父親が炭鉱の木材会社に勤めていた関係で、4歳までを過ごした。記憶にあるのは、父に背負われて行った新築の選炭工場のお披露目会。塗りたてのペンキのにおいと明るい工場内が印象的で、人混みの間から見える最新の機械がまぶしかった。
炭鉱は羽幌炭鉱鉄道が経営し、煙とすすの少ない良質な石炭で知られ、全国の発電所や家庭用暖房向けに出荷した。だが国の石炭から石油へのエネルギー政策転換を背景に70年に閉山、労働者と家族は全国に散った。
工藤さんは町内の高校を卒業後、書店を経て地元のタクシー会社に転職。ある日、父が羽幌炭鉱の広報担当者だったという60代の女性が本州から訪れ、現地を見たいと頼まれた。案内すると女性は廃虚から古い写真を見つけ「これは父が撮ったものだ」と驚き涙を流した。
これをきっかけに工藤さんは会社に提案し、2005年ごろから炭鉱のツアーを開始。かつての住人や廃虚ファンが訪れ、これまでに案内したのは千組以上。郷土資料館に通い、炭鉱内にあった小学校の元教諭など当時を知る人を取材してマップも作製した。
会社のツアーは人手不足から約3年前に終わったが、その後は地元の観光協会などの依頼で工藤さんが個人で引き受け、今年3月の定年退職後も続けている。
ツアーを始めてからの15年でアパートの屋根は台風で吹き飛び、旧小学校の体育館は積雪で倒壊するなど景観は変わった。修繕の見込みはなく「寂しいけれどここに未来はない。自然のまま朽ちゆく姿を見届けたい」との決意だ。〔共同〕