ホステスの制服、イメージ斬新(古今東西万博考)
1970年・大阪

関西タイムライン
2020/10/6 2:00
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夏服姿の鉄鋼館ホステス=日本ユニフォームセンター提供

夏服姿の鉄鋼館ホステス=日本ユニフォームセンター提供

1970年の大阪万博では、来場者を案内する女性が活躍した。当時の呼び名は「ホステス」。彼女たちが身にまとう制服は、各国を代表するデザイナーが手掛け、その斬新さで注目の的になった。各パビリオンの制服も、宇宙や未来をイメージさせる現代的なものが多かった。

鉄鋼館の制服は、日本を代表する服飾デザイナー、森英恵さんが手掛けた。春と秋に着る合服はライムグリーンのジャンパースカートとセーターを基本形とし、夏服は紫色の涼しげで優雅な装い。華やかさと機能性を兼備していた。

コシノジュンコさんは大阪府岸和田市出身で、開幕当時は30歳。タカラ館、ペプシ館、生活産業館の3館の制服をデザインした。

ペプシ館のホステス=日本ユニフォームセンター提供

ペプシ館のホステス=日本ユニフォームセンター提供

ペプシ館の制服は、赤色のタートルネックでミニのワンピース。その上に白と黒のラインが特徴のビニールのベストを重ねる。宇宙服のヘルメットを想起させるフードも、まるでタイムマシンでやってきたような印象だった。

ホステスには内外貴賓を接遇する「エスコートガイド」、外国人を案内する「通訳ホステス」、一般客を案内する「ミス万国博」の3種類があり、計400人以上いた。制服の価格は、日本の企業館では合服と夏服が各2着で1人8万~15万円が相場で、鉄鋼館はブーツ、バッグ、アクセサリー込みで1人40万円と高価だった。

万博ミュージアム(大阪府池田市)の白井達郎館長は「企業の制服がまだ地味な時代に、万博の装いは『働いている時にもおしゃれは必要』という言葉の下、仕事を持つ女性のファッションの新しいシンボルとなった」と話す。世界77カ国のホステスが活躍した大阪万博は、まさにユニホームの見本市だった。

(薬袋大輝)

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