竹中平蔵氏が提言の最低所得保障、スペインで導入難航

日経ビジネス
コラム(ビジネス)
2020/10/6 2:00
保存
共有
印刷
その他

スペインでは新型コロナによる経済危機で失業者が急増し、厳しいコロナ対策に対する抗議デモが頻発する=ロイター

スペインでは新型コロナによる経済危機で失業者が急増し、厳しいコロナ対策に対する抗議デモが頻発する=ロイター

日経ビジネス電子版

日本で最低所得保障制度(ベーシックインカム)に対する議論が過熱している。火をつけたのは、竹中平蔵・東洋大学教授(元経済財政相)が9月23日のBS-TBSの番組で、一定所得以下の国民を対象に毎月7万円を支給するベーシックインカムの導入を提言したことだ。「生活保護や年金がいらなくなる」とも言及したことから、「ベーシックインカムの導入によって社会保障費を削減しようとしている」と強い批判が巻き起こった。

欧州ではベーシックインカムに関する議論の歴史は古く、様々な導入実験が重ねられてきた。2016年にはスイスで導入の是非を問う国民投票が実施されたが、反対多数で否決された。新型コロナウイルスの感染拡大で失業者が急増し、貧困対策として再びベーシックインカムに注目が集まり、スペインでは5月下旬に導入が決まった。欧州ではベーシックインカムがどのように議論され、運用が進んでいるのか。スペインの最新状況を紹介する。

スペイン政府は5月末にベーシックインカムの導入を決め、6月中旬から申請の受け付けを始めた。その対象を低収入の生活困窮者に限定しているなどの理由から、専門家たちは「本来のベーシックインカムではない」と指摘しているが、約230万人を支給対象とするためベーシックインカムという概念において、かつてないほどの規模の制度導入となっている。

では、実際の支給がどのような状況になっているのか。結論から言うと、素早い給付を望んでいた人々の期待を裏切っている。社会保障当局の8月20日の発表によると、75万件の申請のうち審査したのは14万3000件で、承認したのは8万件にとどまるという。AFP通信の報道によると、承認した大半は既に財政援助を受けている人々で、新規の申請は8000件ほどしか承認できていないという。約230万人を対象と見込んでいるため、承認が大幅に遅れている。

審査や承認の遅れの原因の1つは、支給条件の複雑さだ。収入と扶養家族の人数に応じて、世帯月収が462~1015ユーロ(約5万7000~約12万6000円)になるように不足分を銀行振込で支給する。スペインに過去1年以上居住し、住所がある23歳以上65歳未満の人に限られる。ただし、扶養する子どもがいる場合は18歳以上とする。

給付条件は前年の平均月収を参考とし、前年の平均月収が最低所得基準に10ユーロ以上届かない場合に申請できる。20年に収入が50%以下になった場合も申請が可能だが、保有する不動産などの資産額には上限がある。

支給対象者が失業していない場合でも、収入が低い職種で基準を下回る場合は申請できる。失業支援やその他の給付金とも併用が可能だ。ただし、失業中の場合は公共職業安定所に求職者登録をしなければならない。その他にも様々な条件がある。

2つ目の原因としては、緊縮財政の中で公務員が削減され、審査手続きの人手不足が挙げられている。そもそもベーシックインカムには、社会保障給付を簡素化し行政コストを下げる狙いがあるが、スペインでは給付条件を複雑にした結果、手続きが遅れるという悪循環に陥っている。新型コロナの感染拡大によって生活が苦しくなった人たちは一刻も早い支援を望んでおり、その受給が遅れるのであれば制度の効果が薄れてしまう。

バルセロナ在住でウルグアイ移民のアルフレッド・ヴィアーナさんも6月中旬に申請したが、いまだに受理や審査の連絡はないという。少しでも資金が必要な状況だが、社会保障当局の動きが遅く支援を受けられていない。相次ぐ批判を受け、スペイン政府は9月22日、申請の受付期間の延長や審査のスピードアップという改善策を発表した。

■ドイツでは月額15万円を支給する社会実験が始まる

新型コロナの感染拡大による経済危機で、ベーシックインカムの導入は欧州で幅広く議論されている。スペイン、イタリア、ポルトガルの3カ国の左派政党は連帯し、欧州連合(EU)全体でベーシックインカムを導入するロビー活動を始めている。EUで貧困に直面している1億人以上の人々を保護し、パンデミックの影響で何百万人もの人々が貧困に陥らないようにセーフティーネットを提供すべきだと主張している。

ドイツでは21年からドイツ経済研究所がベーシックインカムの社会実験を始める。幅広く参加者を募り、研究対象として1500人を選ぶ。その中の120人に、3年間にわたり月額1200ユーロ(約15万円)を支給し、残りの人とどのような行動の違いが生まれるかを研究する。支給を受ける人々は、様々なアンケートに答える必要はあるが、特に仕事や生活の制約はない。

英国でもベーシックインカムは議論されているが、英政府は導入に否定的だ。リシ・スナク英財務相は新型コロナ危機対策として「ユニバーサル・ベーシックインカムには前向きではない」とし、「既存の社会保障制度に投資することで最も弱い立場の人々のためのセーフティーネットを強化したい」と語っている。

しかし、スコットランド自治政府のニコラ・スタージョン首相は、ベーシックインカムの導入支持を表明。パンデミックへの対策として英政府に提言していた。グラスゴーやエディンバラなど複数の地方自治体でベーシックインカムのパイロット事業を実施する計画が提案されている。

■日本で深まらない議論

ベーシックインカムは本来、「政府がすべての人に必要最低限の生活を保障する収入を無条件に支給する」という制度だ。欧州で様々な制度が導入されているが、いずれも本来の趣旨からすると部分的な制度になっている。それは、ベーシックインカムに様々な課題があるからだ。

代表的な課題としては、無条件で一定額のお金をもらえたら人々は怠け、労働意欲を失うのではないかというものがある。この部分を検証するために、2017~18年にフィンランドでは社会実験が実施された。同志社大学経済学部の山森亮教授は「ベーシックインカムでは受給額が収入によって減額される可能性がないので、働くほど収入が増えていくことになる。(働くと収入によって減額される)失業手当より労働に対するインセンティブが働きやすくなる傾向がある」と指摘する。

さらに大きな課題は、予算の規模と従来の社会保障制度との兼ね合いだ。スペインの場合は、従来の社会保障制度が充実していないため、新たな社会保障制度の1つとしてベーシックインカムの導入を決断できた。

日本では9月23日、竹中平蔵・東洋大学教授(元経済財政相)がBS-TBSの番組で、一定所得以下の国民を対象に毎月7万円を支給するベーシックインカムの導入を提言し注目を浴びた。だが、今回は議論の入り口の段階で、強い反発が巻き起こってしまった。

それは、もともと竹中教授に対し、規制緩和によって非正規雇用者が増え、所得格差を広げたとの批判が根強いためだ。竹中教授が、「生活保護や年金がいらなくなる」と社会保障費の削減とも受け取れる発言をしたことで、もともとベーシックインカムを支持していた左派と、反対していた右派の双方から集中砲火を浴びることになった。

日本は多くの課題を抱えながらも、世界的には社会保障制度が充実している国と見られている。仮にベーシックインカムの導入によって総合的に社会保障の予算が削られ、結果として貧困が拡大するようなら導入すべきではないだろう。

だが、菅義偉政権の経済ブレーンとも言われる竹中教授の提言には意味がある。ベーシックインカムは社会保障制度のみならず、社会全体の構造から考えなければならず、一朝一夕には結論が出せない壮大なテーマだ。新型コロナの感染拡大で失業者が増加するなか、イデオロギーを越えて様々な意見を交わすことは、現状の社会保障制度の課題を見つめ直す好機になり得る。

(日経BPロンドン支局長 大西孝弘)

[日経ビジネス電子版2020年10月2日の記事を再構成]

日経ビジネス電子版セット

週刊経済誌「日経ビジネス」の記事がスマートフォン、タブレット、パソコンで利用できます。雑誌発行日の前週の水曜日から順次記事を公開。日経電子版とセットで月額650円OFFです。

お申し込みはこちら

保存
共有
印刷
その他

日経BPの関連記事

電子版トップ



[PR]