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為替レートの安定に潜む盲点(平山賢一)

東京海上アセットマネジメント 執行役員運用本部長

9月に幕を下ろしたアベノミクスは、円高基調による閉塞感を断ち切り、一定程度のデフレマインドの払拭には効果があったとの声が多いようです。新政権にはどのような経済運営をするのか気になるところですが、為替市場について言えば、アベノミクス開始時の円安基調は収束し、ドル円相場は落ち着いた動きに終始しています。1米ドル=100円~110円で安定的に推移していることから、市場参加者の関心も為替市場から離れているかもしれません。ドル円レートのボラティリティー(月次変動率の標準偏差、24カ月)は5%程度まで低下し、10%を上回る水準から大幅に低下しています(図の右側を参照)。

興味深いことに、一時的な円安基調を経験した後に、為替レートの落ち着きを取り戻すパターンは、戦前・戦時期に類似する現象でもあります。そこで、戦前期の為替市場動向と現在を比較しながら、戦争のショックが発生する過程で、為替レートはどのように推移したのかを確認しておきたいと思います。

戦前にあっては、第1次世界大戦時に、世界各地で金本位制からの離脱が相次ぎ、わが国も1917年9月に事実上の金輸出を禁止しました。しかし1930年1月には井上大蔵大臣の下で金解禁が実施され、為替レートは概ね1ドル=2.0050円(100ドル=200.50円)の旧平価で固定化されました。為替レートが固定化されたわけですから、その変動率は、当然ながら消失しました。その後は、浜口内閣および第二次若槻内閣における井上財政が終焉(しゅうえん)を迎え、1931年12月に犬養内閣が発足すると、大蔵大臣の高橋是清による金輸出再禁止が断行されました。金本位制からの再度離脱で、為替レートは大幅な円安基調に転じました。

1米ドル当たり約2円から4円をはるかに上回る水準まで、短期間に円安が進んだため、世界大恐慌の爪痕が残る時期に、わが国はいち早くデフレ懸念を払拭し、株価も大幅に上昇したのです。自国通貨が下落すれば、他国への輸出拡大を通して景気浮揚が図れることもあり、危機に直面した各国政府は、為替レートを維持し続ける金本位制から逃げ出す動機があったのです。通貨安競争の様相でしたが、多くの国が金本位制から離脱したため、一方的な為替レートの下落は生じなくなります。コロナショック後に大多数の国が、大盤振る舞いの過激な財政政策を同時に採用したため、発行国の相対的な魅力度を示す為替レートの変動が抑制されている現在と同じと言えそうです。

放漫な政策も1カ国が実施すれば、為替市場などで袋叩きされるものの、現代も第2次世界大戦前夜も「赤信号みんなで渡れば怖くない」といった雰囲気が醸成されて、為替レートの変動率が低下したわけです。

ところで、1939年9月にドイツがポーランドに侵攻すると、為替レートは一旦円安に修正されたものの、その後のわが国では、公定価格による統制が強化されるようになります。一定程度の変動が許されていた為替レートも、最終的には完全に固定化されてしまったのです。為替相場のボラティリティーは消失しました。市場経済は、為替レートを含む市場価格が上下動することで、適切な需給の調節が果たされ、健全なモノやカネの流れが確保される仕組みです。しかし政府がこの機能がはたらかないように統制するならば、市場経済には歪(ゆが)みが生じるはずです。戦時中は、モノの価格にも統制を強化しましたが、資材・物資の枯渇は否めずに、実勢物価(闇物価)は大きく乖離(かいり)したのです。

翻って、私たちが生活する現代においても、政府介入によって為替レートや金融市場の変動を抑制したとしても、その歪みは経済実態に時間差をおいて反映されざるを得ません。戦時期のように完全に変動が消失しているわけではありませんが、「鉱山のカナリア(危機の予兆を示すシグナル)」の機能は弱まっています。市場が発するべき警告の感度が低下してきているといってよいでしょう。それだけに、個人資産のポートフォリオを考える際には、金融市場が落ち着いているからと言って、将来の大変動は発生しないと安閑とすべきではないでしょう。このことを戦時期の為替レートの安定が示唆しているように思えてならない今日この頃です。

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平山賢一(ひらやま・けんいち)
1966年生まれ。横浜市立大学商学部卒業、埼玉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。学習院女子大学・東洋大学非常勤講師。30年超にわたり内外株式や債券をアセットマネジメント会社で運用する。著書に、「戦前・戦時期の金融市場」、「振り子の金融史観」などがある。
[日経ヴェリタス2020年10月4日付]

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