頑固な反り、粋に変身 公長齋小菅の竹細工
匠と巧

関西タイムライン
2020/9/28 2:01
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湾曲を生かし手になじみやすいしゃもじやへらなどの竹細工=大岡敦撮影

湾曲を生かし手になじみやすいしゃもじやへらなどの竹細工=大岡敦撮影

ザルやカゴなどで古くから親しまれてきた竹細工。プラスチックなどに押されて身の回りで見る機会が減り、担い手の高齢化も進み存続が危ぶまれている。だが、加工が難しい素材だからこそ面白さを感じる人々が京都にいる。外部のデザイナーと手を携え、従来の発想になかった商品で価値を高める動きも出てきた。

竹は万能な素材ではない。曲がる方向は限られ伸びも縮みもせず、デザインの自由度は限られる。さらに部位によって反り具合や厚さが異なる。

「制限があるから美しい」。京都市で竹細工を手掛ける公長齋小菅(こうちょうさいこすが)。5代目で副社長の小菅達之さんは、だからこそ力を込める。竹にしか出せない味わいがあり、年を経るごとの変化も楽しめる。

竹の加工の難しさは、工程を追うとよくわかる。ひも状の竹を編み込みザルなどを作る「編組(へんそ)」と呼ぶ手法では、まず丸い状態の竹を専用の刃物で分割すると、小刀に持ち替えて幅2~3ミリメートル、厚み0.2~0.5ミリメートルほどのひも状にそろえる。一度に大きく削れないため、細かい加工を何度も繰り返す。

さらに財布などに使う30センチメートル四方のパネルは、1枚編むだけで丸1日かかるという。ひも状への加工から編み込みまで、ほぼすべて手作業なのだ。

竹からしゃもじなどを削り出す「竹工(ちっこう)」という手法でも、竹の個体差などが加工を難しくする。「竹の加工は、とにかく手間と時間がかかる」と小菅さんはこぼす。

竹産業は2千年を超える歴史を持つとされる。公長齋小菅の創業は1898年(明治31年)と新しい方。東京・日本橋で事業を始め、戦後の1949年(昭和24年)に京都に拠点を移した。竹の一大産地である九州の職人などと組み、竹産業の再興を目指してきた。

小菅さんは繊維商社を経て20年前にこの道に入った。「竹にはカゴやスプーン、箸など決まり切った用途しかなかった」。加工が難しく、デザインが限られていたためだ。自分たちだけでは殻は破れないと、外部の知を頼った。

2010年に発売した「minotake」。家具デザイナーの小泉誠氏と組み、竹を半分に切って斜めに削るなどして、曲線を生かしたさじやへらを作りだした。16年のコペンハーゲン・コレクションではデンマークのデザインスタジオ「OeO」と協業。漆黒の丸が印象的なお盆などを生み出した。「我々だけでは出せないデザイン」(小菅さん)は話題を呼んだ。

竹を使ったことがある外部のデザイナーは限られ、「打ち合わせても、竹の難しさを理解してもらえないことがある」。社内からも反対があった。それでも、「竹の可能性を引き出したい」と説得し、周囲を巻き込んできた。

高齢化により竹林を管理する事業者の廃業も相次いでいるという。公長齋小菅は大分の竹林を引き継ぎ、竹林の整備という最上流から、京都の自社店舗での小売りまで一貫して手掛ける。日本から竹の光を消さない。そんな思いで走り続けている。(岩戸寿)

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