「自分のため」は封印、管理職の道へ 島袋香子さん
北里大学学長(折れないキャリア)
この夏、北里大学で初の女性学長に就任した。助産師として出産の現場に数多く向き合い、教員として多くの学生を指導し、研究者として妊娠期の女性の心理などを研究してきた。だが、看護の道に進んだのは「たまたま」だった。

地元の琉球大学で比較的新しい保健学部では、いくつか資格が取れると聞いた。両親から生涯食べていけるよう手に職を、と勧められたこともあり、進学を決めた。正直、保健学についてはよくわからなかった。周りからも「体育の先生になるの?」と言われたくらいだ。入学後の実習では顕微鏡を使ってマス目の中にある赤血球を数えるのだが、何度やっても数えられない。臨床検査技師は諦め、看護の道が残った。
卒業後は同級生2人と上京し、北里大学病院で看護師、助産師としての仕事をスタートさせた。高度な医療を経験できたのは大病院ゆえだが、それだけに葛藤もあった。
最初は、5年で北里看護専門学校の専任教員を命じられた時だ。折しも複数の看護師で患者を担当する方式から、看護師が一人一人患者を受け持つ方式に移行する時期で、自身もトライアルメンバーだった。「これから看護が変わるという時期の異動に『今なの?』という思いがぬぐえなかった」
2度目は学部長になったとき。それまで自分の専門を突き詰めていたが、管理職となると、あきらめなければならない。ただ、大きな組織では誰かが担う必要がある。「与えられた仕事に一生懸命取り組むことが大事」と心得る。
管理職か教育者か。キャリアに悩む看護師は少なくない。その中で専門性を高めようと、再び大学院などに進学してくる卒業生もいて驚く。「皆、現場で心に響くような経験をし、次のステップを求めるようだ。自分の役割はその進む道を開くこと」と考えている。
復職希望者のための研修もあるが「医療技術の進歩は早く、一度辞めると復職には勇気がいる。今後は短時間勤務など、仕事を続けるための仕組みを充実させたい」と意欲的だ。
患者、学生、組織のために働いてきた。「自分のために費やしたのは博士課程の3年間くらい。チャンスがあればもう一度、研究に戻りたい」と話す。
(女性面編集長 中村奈都子)
[日本経済新聞朝刊2020年9月29日付]
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