古賀稔彦、痛みに耐えて金 1992年バルセロナ五輪

あまたある五輪の名シーンの中でも、その不屈の戦いぶりで1992年バルセロナ五輪男子71キロ級の古賀稔彦を上回るものはそうはない。
3回戦敗退したソウル大会の雪辱を期し、現地入りした古賀。だが、78キロ級代表の吉田秀彦との練習中に左膝を痛める。大会前まで火の出るような乱取りを行う慣例が裏目に出て「普通ならできない状態」と振り返る重傷だった。
それでも痛み止めの注射を打ちながら気力を振り絞って勝ち進み、準決勝は背負い投げで一本勝ち。決勝ではハンガリー選手に優勢勝ちし、頂点にたどり着いた。男泣きした古賀の晴れ姿を吉田は前夜に果たした自らの優勝以上に喜び、上村春樹監督(当時)も「こんな選手、見たことない」と感極まった。
同じく足を痛めながら五輪を制した経験を持つ山下泰裕コーチ(同)は「自分とは比べものにならない。奇跡です」。日本柔道のレジェンドたちも思わず目をこすった、劇的な金メダルだった。
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