武甲山(埼玉県秩父市、横瀬町)白い岩肌、悠久の歴史

ひと・まち探訪
コラム(社会・くらし)
2020/10/3 12:17
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荒々しく削られ、白い岩肌が露出した山頂は、まるで巨大ピラミッドのようにも見える。秩父盆地の南東にそびえる標高1304メートルの独立峰は、日本二百名山の一つで、長く周辺地域の信仰と尊崇の対象だった。

現在の武甲山(2019年6月)=武甲山資料館提供

現在の武甲山(2019年6月)=武甲山資料館提供

1950年ごろの武甲山(清水武甲氏撮影)=武甲山資料館提供

1950年ごろの武甲山(清水武甲氏撮影)=武甲山資料館提供

古代日本の英雄、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の成功を祈って山頂に武具や甲冑(かっちゅう)を納めた――。山名の由来とされる伝説。だが、「武甲山」と呼ばれるようになったのは江戸中期の元禄時代だ。それ以前は「嶽山」「知々夫ケ嶽」「妙見山」など、時代ごとに呼ばれ方が変遷してきた。

石灰石の採掘地として、中腹の開発が本格化したのは大正時代のこと。山頂は手つかずのままだったが、資源の有効利用などの観点から1970年代に開発計画が浮上した。権利を持つ鉱山3社が協調採掘で合意。81年から山頂での採掘が始まり、太古から人々に親しまれ、おそれられてきた山は大きく姿を変えていく。階段状に山を削る「ベンチカット」と呼ばれる採掘法で、山頂を中心に露天掘りが進み、標高は32メートル低くなった。

石灰石は約2億年前、南洋の火山島の周囲に形成されたサンゴ礁が起源だ。海洋プレートの移動で火山島が現在のユーラシア大陸と衝突し、一部がこそぎ取られるような形で、日本列島になった。サンゴ礁は山の表面に分厚い石灰石の層として残った。

今は山深い秩父周辺もかつては海だった。石灰石だけでなく、列島の成り立ちを伝える特徴的な岩石や鉱石、地層が見つかっている。日本地質学発祥の地ともいわれ、2011年には国内15番目となる日本ジオパークの認定を受けた。

武甲山で採掘された石灰石は質が高く、セメントの主原料となって高度経済成長期以降の建設業界を支えた。基幹産業だった養蚕の衰退に苦しんでいた秩父地域の経済にも潤いを与えた。

身を削って人々に恩恵をもたらした山。姿が変わっても、地域を象徴する存在であり続ける。武甲山資料館の職員、持田純子さん(49)は「天気の良い日は『武甲山がよく見えるね』と話題になる。多くの学校の校歌にも登場し、夏休みの宿題の定番が武甲山のスケッチ。変わっていく姿を見てさみしく感じる人は多い」と話していた。(倉辺洋介)

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