/

日本どうなる? オリンピアン2人に感じた希望

ドーム社長 安田秀一

オリンピアンの皆川賢太郎さん(左)と松田丈志さん

新型コロナウイルスの感染拡大で日本経済が打撃を受けています。人口減少が進む地方では特に深刻なようです。米スポーツブランド「アンダーアーマー」の日本総代理店、ドームで社長を務める安田秀一氏は久しぶりに地方を訪れ、その魅力と窮状を目の当たりにしました。「このままでいいのか」と考え込んだ同氏ですが、2人のオリンピアンと話すことで、未来への可能性を感じたそうです。

◇   ◇   ◇

コロナ禍の中で、日本の首相が交代しました。安倍晋三前首相の政策を引き継ぐという菅義偉首相への国民の支持率はとても高いようです。ただ、僕はとても複雑な気持ちです。日本人はこんな状況になっても変化を望まないのか、と感じてしまうからです。

9月上旬、僕は遅い夏休みとして、修験道の場として知られる奈良県の大峰山と新潟県の苗場を訪れました。国内の田舎を経験したのは久しぶりでしたが、図らずも「地方の魅力とその窮状」という対極的な2つの要素を知るいい機会になりました。苗場ではアルペンスキーで五輪4大会に出場した皆川賢太郎さん(43)の実家であるペンションに、競泳で4つの五輪メダルを獲得している松田丈志さん(36)の家族とともに伺いました。日本が誇る2人のアスリートとじっくり話をして、大変大きな刺激をもらいました。

大峰山も苗場も素晴らしいところで、東京育ちの僕は心底驚かされました。苗場には巨大で深い緑に覆われた山があって、驚くほどきれいな川が流れていて……皆川さんが子供の頃から泳いでいたという川のほとりはまるで映画のセットのようでした。その一方で、人がいなくてどんどん寂れていく地方の現実がありました。大峰山ではかつて約400軒あった温泉宿が約250軒に減ったと聞きました。夏の苗場や湯沢の街ではそもそも人を見かけず、まるでゴーストタウンのようです。地方の素晴らしさと疲弊ぶりのコントラストがすさまじくて、あらためて「日本はこのままでいいのか」、と強烈な憂いが胸を突き刺してきました。

苗場にある皆川賢太郎さんの実家のペンションを訪れた(2006年2月、トリノ五輪での皆川さん)

なぜこんなことになるのでしょう。

どこの地方も同じような「ハコモノ」

東京育ちの僕が目を丸くしてしまうほどの素晴らしい環境が、地域ごとにゴロゴロ転がっているにもかかわらず、日本の地方行政はどこも補助金をもらっての「ハコモノ作り」、道路や施設を整備することが中心です。県庁や市役所などは場違いなほど立派な建物ばかりですし、国体後の総合運動公園も「なぜこんな場所にこんなにも巨大なモノが……」と思えるような過剰な施設ばかりです。道の駅も高速のサービスエリアもどこも同じようなフォーマット、そして、そんな光景は全国津々浦々まったく同じで、中央が打ち出す画一的な振興策しか取れてないのは一目瞭然です。美しく誇るべき自分の郷土から、背広に着替えて酷暑で雑踏の東京に陳情にあがる姿は、まるで参勤交代を彷彿(ほうふつ)とさせます。こんなにも支配的な中央集権のままで本当にいいのでしょうか。

それが故に、地域の人々が自分たちの持つ独自の魅力に気づけず、適切な開発やマーケティングができないのではないでしょうか。

苗場へは東京から車で3時間とアクセスは最高です。スキー旅館など夏には都心の企業にまるごと貸し出して、夏季限定のサテライトオフィスにすることだってできそうです。児童や学生には山や川で学ぶサマースクールを開催したり、もっと長期間で安全に行えるスポーツの合宿を企画して招致したりするなど、いくらでも活用方法はありそうです。当日の東京の最高気温は35度、苗場は26度と9度も差がありました。昨今の東京の暑さは正直「生命の危険」を感じるレベルです。コロナ禍をテレワークの定着化と地方創生を実現できる「変化の機会」に活用すべきと感じました。

そんな地方の疲弊ぶりに驚いてちょっと調べてみたのですが、日本の一世帯あたりの平均収入は1994年の約664万円をピークに、2018年は約550万円まで下がっています。消費税は3パーセントから10パーセントに増税されています。全体の可処分所得が減り、大阪や名古屋も元気がなく、人も富も東京に集中、今の日本は「東京一本足打法」状態です。地方は東京ばかりを見て東京に詣でるわけですから、地方が衰退していくのは当然の流れです。

もとより、少子高齢化により日本財政が年々厳しさを増し、恒常的に赤字国債を発行、マイナス金利で異次元の金融緩和を続けるという、財政的にはもはや打つ手はない状態です。その上、我々国民は先の震災の復興税も37年まで払い続けている中、今回のコロナ禍に対する巨額の財政出動です。いったいどんな未来が待っているのか。一人の経営者として、寒気すら覚えるほどの将来負担だと感じてしまいます。

やるべきことは行政の抜本的なダウンサイジングしかないと思えるのですが、道州制などの抜本的な議論は立ち消え、その間にも国務大臣のポストは増え、国会議員の給料も増えています。

せっかくの夏休みだったのに、なんだか暗い気持ちになってしまったのですが、そんな僕を勇気づけてくれたのが、皆川さんと松田さんの2人のアスリートでした。苗場では3人で夜遅くまで、日本のスポーツ界の将来から、お互いの人生観に至るまで、さまざまなことを語り合いました。

松田丈志さんも地方から世界に羽ばたいた(2012年7月、ロンドン五輪での松田さん)

そんな語らいのなかで、2人には意外な共通点があることに気づきました。それは、ともに地方で生まれ育ち「東京をみることなく世界に羽ばたいた」という点です。皆川さんは苗場のゲレンデでスキーを学び、松田さんは宮崎県延岡市のビニールハウスのプールで練習して力を付けました。

皆川さんは現役時代、古い体質の全日本スキー連盟(SAJ)に管理されるのを嫌って3回も日本代表を辞退しました。自分でスポンサーを集めて世界を転戦してポイントを稼いで五輪に出場しました。06年トリノ五輪の回転では表彰台まで100分の3秒差の4位。引退後は逆にSAJに入って常務理事に就任。財政基盤の強化や組織の抜本的な改革を進めています。地元では実家のペンションの再生を目指し、日本のウインターリゾート全体の発展を見据えています。

松田さんも競泳の自由形とバタフライで04年アテネから16年リオデジャネイロまで五輪4大会に連続出場。あのマイケル・フェルプス(米国)と競い合った日本を代表するスイマーです。引退後はメディアなどで活躍し、「日本はプールが多すぎる」と日本水連に怒られそうなことを堂々と主張します。米国のやり方などと比較して「日本も施設を最適化していくべきだ」「競技団体が自ら稼ぐように、僕らの世代で変えていかないとだめだ」と話し、現状を変えようとする強い意思を感じます。

「子どものころから世界を見ていた」

彼らはともに「子どものころから世界を見ていた」と口をそろえます。両人とも「東京への憧れ」などを持ったことは一度もなく、海や山に囲まれながら「世界の舞台で活躍する自分の姿」を夢に描いていたそうです。だから、中央の競技団体に迎合せず、自分が正しいと思う目的や目標に対して最短距離で進む方法を考え、実行できたわけです。若い頃から世界を転戦し、真の一流アスリートと競い合うなかで、世界基準の組織運営や施設のあり方をじかに見てきたわけですから、洗練された思考を持っているのは当然のことかもしれません。洗練された思考を持っているのは当然のことかもしれません。既成概念にとらわれない自由な発想ができる2人、彼らは一様に日本のスポーツ界や地方の可能性に大きな「伸び代」を感じている様子ですらありました。

「松田さん、どうですか? こんなきれいなところがあるなんて、知らなかったでしょ?」

湯沢町の付近の渓谷で、先に到着してその美しさに感動していた僕は得意げにそう語りかけました。

「えーと、すいません。僕は子どものころからこんなところでしか泳いだことありません」

宮崎県と新潟県に共通する自然の姿があるなんて、想像すらできませんでした。

「暖炉のラウンジ」で夜中までおしゃべりを続けた=ドーム提供

皆川さんが経営する「ゲストハウスハイジ」は、皆川さんの亡き父で競輪選手であった賢治さんご自身が建てたそうです。その賢治さんの一番のご自慢は「暖炉のラウンジ」です。僕ら3人はその暖炉を囲み、夜中までおしゃべりを続けました。9月の初めではありますが、苗場の夜は薪(まき)をくべなくてはならないくらいの肌寒さでした。

「暖炉のラウンジ」は、300年前の民家の古材を基礎に使用しているそうです。アメリカ建国よりもずっと昔から日本人の生活を見て、支えてきた木材なわけです。そんな非日常的な空間で、薪をくべて暖をとり、気の合う仲間と語り合うのはまさにプライスレスな時間でした。翌日、東京に帰った時の気温は35.1度、夏休みも終わり、街は汗だくの通勤、通学の人々であふれていました。

地域の素晴らしさ、地域の特徴は、その地域の人にしか分かりません。今まで知ることすらなかった日本の魅力の一端に触れることができたのは、残り時間のほうが短い僕の人生の中において大変な変化であり収穫でした。

「明日はあそこの川をバタフライで登ってやりますよ!」

「苗場は絶対に再生するから今が投資のチャンスですよ!」

ガハハと豪快に笑いながら、そんな威勢の良いことをしゃべる2人には「巨大に発達した大腿筋」という共通点もありました。幼い頃から世界と渡り合ってきた2人を支えてきた「巨大な古材」は、その信念の強さと努力の年輪のようにも感じました。

大きな変化は、今の日本人の望むところではないのかもしれません。でも、地方の素晴らしさを背景に、世界へ飛び出している若者たちが、今日この瞬間にもどんどん生まれているのは紛れもない事実でしょう。

変わりたい人も、変えたくない人も、明るい未来を夢見る気持ち、そして何より日本を好きな気持ちに変わりはありません。厳しい状況は続きますが、だからこそ、足元にあるすてきなもの、大切なものにしっかりと目を向けること。そうすることで、少しだけ心にゆとりが生まれ、お互いを尊重でき、未来に向けたより建設的な議論ができるのではなかろうか。尊敬する若者とともに日本を満喫し、そんなことを感じた遅めの夏休みでした。

安田秀一
1969年東京都生まれ。92年法政大文学部卒、三菱商事に入社。96年同社を退社し、ドーム創業。98年に米アンダーアーマーと日本の総代理店契約を結んだ。現在は同社代表取締役。アメリカンフットボールは法政二高時代から始め、キャプテンとして同校を全国ベスト8に導く。大学ではアメフト部主将として常勝の日大に勝利し、大学全日本選抜チームの主将に就く。2016年から18年春まで法政大アメフト部の監督(後に総監督)として同部の改革を指揮した。18年春までスポーツ庁の「日本版NCAA創設に向けた学産官連携協議会」の委員を務めたほか、筑波大の客員教授として同大の運動部改革にも携わる。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

セレクション

トレンドウオッチ

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

新着

ビジネス

暮らし

ゆとり

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン