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御徒町(東京・台東) バブルの輝き宿して

JR御徒町駅周辺は宝石の街だ。宝飾問屋の看板がかかった古い雑居ビルが集まる。「ルビー通り」に「エメラルド通り」。そんな名前がついた路地で海外から来た宝石商が何やら話し込み、異国情緒ともまた違う、何ともいえない雰囲気が漂う。

宝飾品店が軒を連ねるJR御徒町駅前の商店街(東京都台東区)

「中古の宝飾品を買い付けるのが仕事なんだ」と、インド人バイヤーのアビシェクさん。バイヤーの狙いは1960年代の高度経済成長期から80年代のバブル経済期、日本に集められた宝飾品だ。御徒町で宝飾品を扱う業者はおよそ2000軒あり、日ごとオークションが開かれているという。競り落とされた宝石は海外で再研磨され、次の買い手を待つ。

「御徒町」の由来は徳川将軍や江戸城の警備にあたる御徒の多くが居住していたことによる。だが、現代の宝石の街につながるのは、御徒と同じく、この辺りに集まり暮らしていた職人たちの仕事の変貌だ。日本橋、浅草に近く、江戸時代には刀装、仏具を扱う職人が多かった。近代の幕開けとともに刀装の需要はなくなり、廃仏毀釈の波で仏具職人の仕事も激減。職人たちは指輪などの装身具をつくり、新たな収入源とした。

これが宝石の街としての原点になる。戦後は隣接する上野駅のまわりで米兵たちが時計やアクセサリーの売買を始め、御徒町は修理や問屋など、バックヤードの役割を果たした。高度経済成長期になると、宝飾品関係の店が一気に増え、雑居ビルが林立する街並みができ上がった。

宝飾品店を経営する田中勇さんは「バブルのころは全国の小売業者が仕入れにきて営業前から行列ができていた」と振り返る。今、人気を集めているのはバブル期に売られ、その後の長い不況下で買い戻された宝飾品だ。インド、中国、イスラエル……。オークションでは世界中からやって来た外国人バイヤーが盛んに競り合う。

空前の消費ブームに沸いたバブル期につくられた宝飾品は質が高く、値段も張る。コロナ禍が世界を覆うなか、最近の商いはどうか。田中さんに聞いてみると、ちょっと意外な答えが返ってきた。「高級な品から先に売れていく。暗い世情が続き、明るさ、輝きが求められているのではないでしょうか」。バブルのきらめきを宿した宝石は今の世を照らす一助になるだろうか。(筒井恒)

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