38歳でがん発病、受精卵凍結
村上睦美さん(1)医療ジャーナリスト

北海道新聞の記者だった2003年に悪性リンパ腫の3期と診断された。背中と胃の痛みに悩まされており、原因が分かって納得した。だが厚生労働省担当として仕事に夢中になっていたときだった。「どうして……」。悔しさがこみ上げた。
国立がん研究センター中央病院での精密検査で、最も進行した4期と確定診断された。リンパ腫は胃や肺などに広がっていた。結婚1年余りで38歳だった。「将来は子どもを産みたい」と主治医に伝えたが「まず自分の命を大切に」と諭された。

諦めきれず、夫とインターネットで検索した。米国では治療前に精子や卵子を凍結し、治療後に子どもを授かった体験談をいくつも探せた。日本では探せず落胆していたとき、卵子凍結に関する新聞記事を思い出した。切り抜きを入れる箱をガサゴソと探して見つけた記事には「卵子を凍結保存する人が増えている」などと書いてあった。
訪れた不妊治療専門の診療所は受精卵の凍結を勧め、抗がん剤治療の日程を延期した。凍結した4つの受精卵に希望を託し、がんセンターに入院した。
治療は抗がん剤6回と、認可されて間もない分子標的薬を4回。最初の抗がん剤2回と分子標的薬2回は入院して治療を受け、その後に外来で2回治療を受けた後、職場復帰した。「早く復帰しなければ取り残される」。焦りで頭がいっぱいだった。残りの治療の日は休むことに上司は理解を示してくれた。
多くの仲間にも助けられた。記者がごった返す中、政治家にICレコーダーを向けたが、治療で抜けた頭髪をカバーしていたカツラが取れそうになった。民放テレビの女性記者は「私がカツラを押さえてあげるわ!」と明るい声で叫んだ。私も周りの記者たちも大笑いした。
でも、働きながらの治療は大変だった。取材中に吐き気をもよおし、トイレに駆け込んだ。集中力が続かず、焦りから夜は寝られない。味覚もおかしくなった。若かったから相当無理をした。そんな中、追いかけていた年金改革の節目の記事を書けたときは本当にうれしかった。