併設の遊園地、絶叫マシンブームの礎(古今東西万博考)
1970年・大阪

関西タイムライン
2020/9/15 2:00
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ジェットコースター「ダイダラザウルス」や観覧車なども人気を博した(1972年2月、大阪府吹田市)

ジェットコースター「ダイダラザウルス」や観覧車なども人気を博した(1972年2月、大阪府吹田市)

1970年の大阪万博で「月の石」に次ぐ人気を誇ったとされるのが、併設の大型遊園地だ。ジェットコースター「ダイダラザウルス」は5本あるコースから同時に発進した車両が互いに近づいたり離れたりしながら走行し、同時に戻ってくるという複雑なコースで、当時は珍しかった。車両やゴンドラを製作する中小メーカーの黒木テック工業(兵庫県伊丹市)など関西企業が活躍した。

24台のゴンドラを備えた当時国内最大の観覧車や、宇宙ステーションをイメージした乗り物などもあり、多くの来場者を集めた。一部車両を製作した黒木テックの黒木侯次社長は「万博に向けて大量の注文が入り、従業員が帰った後も前社長が一人残って深夜まで作業していたほどだ」と振り返る。

大阪万博の影響もあり70年後半からは全国で絶叫マシンブームが巻き起こる。コースがより複雑で大型のジェットコースターが次々と登場し、黒木テックも需要増を見込んで本社工場を兵庫県尼崎市から敷地が広かった伊丹市に移転。85年の国際科学技術博覧会(つくば科学万博)や全国の遊園地で事業を広げてきた。

ただ90年代のバブル崩壊後は少子化などで国内の遊園地需要は低迷。大阪万博の遊戯施設を受け継いだ「エキスポランド」も2009年に閉園した。今では大型商業施設の「エキスポシティ」が立つ。黒木テックも孫と来園する高齢者の需要を見込んで、より小さい子ども向けの遊戯施設を開発するなど工夫をこらす。黒木社長は「屋外遊園地は家族みんなで楽しめるのが魅力。25年の万博でもそういった施設があってよいのでは」と話す。

(佐藤遼太郎)

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