丸の内に華やぎを ブランド店誘致、当初は連敗
サブリースでオーナーと折衝

日経MJ
2020/9/20 2:00
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NIKKEI MJ

 
OLが仕事が終わると1秒でも早く脱出したい街。丸の内を変えるにはいかに魅力的な店舗に入居してもらうかだったが、挑戦は初めから躓(つまず)いた。語り部は丸ノ内ホテルの渡邉利之社長。

1998年4月、「丸の内再構築」構想を打ち出した頃から、銀行の再編が本格化し始めました。丸の内仲通りも、金融機関の店舗の統廃合の影響で空き区画が目立ち始めてきました。

当時、丸の内のオフィス賃貸は堅調でしたが、集積型の商業賃貸は実績が少なく、社内では「無理に商業をやらなくても」と主張する社員も少なくありませんでした。商業店舗は就業者の利便施設という位置づけにすぎず、広域型の商業賃貸という発想はありませんでした。私たちがやろうとしていることは、まさに「立地創造」だったのです。

とりわけ課題は土日祝日でした。人通りはパッタリ。ゴルフに行くビジネスマンがそれぞれの自家用車で集合、車はそのまま仲通りに路上駐車されていました。

そんなエリアに誘致されてもブランドショップの開発担当者たちは困り顔。つき合いで話は聞いてくれますが「10年で5000億円の再開発ですか。さすがですね」と言った後、「街が形になり始めたらまたお声がけください」。連戦連敗でした。

まず郵船ビルに「カバン ド ズッカ」を誘致した(1999年)

まず郵船ビルに「カバン ド ズッカ」を誘致した(1999年)

丸ビル計画の前に人の流れを変えるトリガーが不可欠として、シンボルを打ち立てることにしました。狙ったポイントは2カ所。そこに象徴的なファッション店を誘致するのです。1つ目が行幸通りからの入り口にある郵船ビルの路面区画でした。

もともと金融機関が入っていました。ここが空いたのです。何としてでもこの区画を橋頭堡(きょうとうほ)的なスポットにしたいということになりました。

難題だったのが郵船ビルが日本郵船さんの所有で、しかも本社ビルだということでした。僕らが「ブランドショップに」と言ったところでどうしようもありません。

そこでひねり出したのがいったん三菱地所が借り受け、サブリースする案でした。イッセイミヤケグループのブランド「カバン ド ズッカ」の誘致案と併せて日本郵船さんと根気強く折衝を重ね、承諾をいただきました。

しかし大切なのは次。2つ目が肝心です。続かなければ、丸の内を変える意思を対外的に示すことはできません。

「何としてでも」――。必死の思いで挑んだ場所が、丸ビルに近接する三菱重工ビル1階の大型区画でした。ここへの有力ブランドショップの誘致がキャリアファッション業界に大きな衝撃を与えることになりました。

そして後の丸の内商業開発の流れを一気に変える分水嶺となったのでした。

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