鳴海球場跡(名古屋市)日本初のプロ野球試合開催

ひと・まち探訪
2020/9/12 12:02
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名古屋市緑区にある名鉄自動車学校は不思議な形をしている。敷地は扇形、その傍らにコンクリート造りのスタンドがそびえ立つ。日本で初めてプロ野球の試合が開催された「鳴海球場」の名残だ。

鳴海球場の跡地につくられた名鉄自動車学校には、スタンドの一部が今も残る(名古屋市緑区)

鳴海球場の跡地につくられた名鉄自動車学校には、スタンドの一部が今も残る(名古屋市緑区)

1936年2月9日、東京巨人軍と名古屋金鯱(きんこ)軍が鳴海球場で戦った。米国遠征する巨人の壮行試合。「日本職業野球連盟」が同5日に発足したばかりで、この一戦がプロチーム同士の初試合と位置づけられる。「見よ!鳴海球場の歴史的壮観」「球界に湧く興奮の声」――。当時の地元紙にはこんな見出しが躍り、スタンドを埋めた観衆の熱狂ぶりを伝える。戦争への大きな転機となった二・二六事件の直前のことである。試合は巨人有利の下馬評を覆し、設立間もない金鯱軍が奮起。戦死した伝説の名投手、沢村栄治らを打ち崩して10対3で勝利した。

鳴海球場は27年に現在の名古屋鉄道が沿線開発の一環で建設した。両翼106メートル、中堅136メートルの大きさは甲子園球場に匹敵する。収容人員は2万2500人。内野席は大屋根「鉄傘」で覆われていた。後に増設された内野席は伊吹山にちなんで「伊吹スタンド」と愛称がついた。31年にルー・ゲーリッグが、34年にはベーブ・ルースも全米選抜の一員としてプレーしている。戦前の中等学校野球の予選会場にもなり、周辺の地域で、今に続く強豪校が育った。父親が36年の選抜大会を愛知商の選手として制覇したという酒井隆弘さん(76)は「大きく立派な球場で、戦前の野球熱は相当なものだったようです。聖地だった鳴海球場は、地域の野球の原点と言えます」と話す。

輝かしい年譜に比べて鳴海球場が「聖地」だった期間は短い。初のプロ試合から数年の間に戦時体制が強まり、鳴海球場も変貌を余儀なくされた。徴兵される選手が相次ぎ、金鯱軍は解散。球場の代名詞でもあった「鉄傘」は金属供出で撤去された。広いグラウンドは高射砲の弾薬置き場や野菜畑になった。戦後は新たに竣工したナゴヤ球場に地域の野球の拠点が移り、58年に球場としての役割を終えた。球場だった記憶をとどめようと、2007年に金色の記念ホームプレートが埋め込まれた。コロナ禍の今年、プロ野球の歓声は寂しい。超満員の大歓声が響くスタンドはまた戻ってくるだろうか――。記念プレートに触れて往年の鳴海球場を思えば、そんな感慨が込み上げてくる。

(平野慎太郎)

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