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子育ての想定外が道開く 流れ着いた先が最高の場所に

ジェンダー・国際協力専門家 大崎麻子さん

2人の子どもを育てながら国内外でキャリアを重ねてきたジェンダー・国際協力専門家の大崎麻子さん
子を育てるということは、次の時代をつくること。どんな価値観をもった人間になるかは、子育てが左右する。でも、一人ひとり個性も成長スピードも違う。もちろん、育てる私たちも。では聞いてみよう。世界をよく知り、がんばって働き、自分らしく伸びやかに生きる女性たちに。子育てで本当に大切なことが見えてくるはずだ。

ジェンダー・国際協力の第一人者として活躍する大崎麻子さん(49)。想定外な出来事を何度も経験しながら視野を広げ、知識を深めていった。キャリアを支えてくれたのは、いつも子どもたちだ。そんな大崎家の座右の銘は「流れ着いた先が最高の場所」。目の前のことに一生懸命取り組むことで道は開けるという。

息子が教えてくれた「ヒューマンライツ」

上智大生の時に米ペンシルベニア州の女子大に留学しました。そのとき出会ったのが前の夫です。その後彼はニューヨークに勤務し、私は帰国して大学を卒業。すぐに結婚しようという話になりました。ところが親、特に母親は猛反対。「結婚は束縛の制度。なぜそんなものに自ら好んで縛られるのか」とさえ言うのです。母は四年制の大学を卒業したものの父と結婚して専業主婦になったので、私には仕事をして経済的に自立してほしかったようです。でも当時の私は恋愛に夢中。NYに行く理由をつくるためにコロンビアの大学院に進学を決め、親を説き伏せました。大学を3月に卒業して5月に渡米、8月から大学院に進学する予定でした。ところが直前の7月に妊娠が分かったのです。

当然、進学はあきらめようと思いました。母親なら家で子育てに専念するのが当たり前だと思っていたからです。早速、事務局に行って事情を説明し、入学辞退を申し出たら「なぜ?」と聞かれます。「私は妊娠していて、これから出産するんです」と説明しても「そんな人はたくさんいる」と。「学期途中に出産予定の人もいるのに、なぜあなただけできないと思うのか」と問われ、自分の思い込みにハッとしました。専攻するはずだったジャーナリズムは実地の取材などが多いこともあり、ヒューマンライツ(人権)に切り替えて進学することになりました。

目の前のことに一生懸命取り組むことで道は開けると信じ、育児や仕事に奮闘してきた

でも人権について学ぶ同級生は皆、想像通りゴリゴリでバリバリの人権活動家や弁護士たち。直前で専攻を変えた私はその熱い議論についていけず、毎日身を潜めるようにして過ごしました。女性の人権に関する授業では、四十数人の参加者が全員女性です。講師と共に毎回、怒りの決起集会が繰り広げられました。今ならその輪に入って声を上げていると思いますが、当時の私は「なんでこの人たちはいつも怒っているんだろう」と不思議な気持ちでした。知識も経験も圧倒的に不足していたのです。とても続けられる気はしませんでしたが、出産を機に、私の意識は大きく変わります。

半年間休学してNYで出産しました。生まれたばかりの息子はやがて目の焦点が合うようになり、寝返りをうつようになり、言葉を発し始めます。その生命力や成長力に日々接していると、「人権」の大切さを実感するようになりました。特に世界人権宣言は結びの30条で「この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又(また)はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない」とあります。全くその通り。私も、息子だけではなくすべての子どもの人権が守られる世界をつくらねば!と、一気に視野が縦にも横にも広がりました。3月に出産して8月に復学すると、人が変わったように勉強しました。子どもの人権に携わる仕事がしたいと思いましたが、そんな簡単な仕事ではないとすぐに思い知らされます。

夏休み中に国連でインターンを経験し、その後ユニセフを紹介してもらいました。1990年代は内戦が増えた時期で、国連は武力紛争が子どもに与える影響の報告書を作るためユニセフに実態調査を指示していました。国家間の争いは軍人同士の戦いですが、民族・部族間の争いは相手を滅ぼすことが目的ですから血で血を洗う戦いになります。当然、女性や子どもも標的になります。ユニセフの本部には子どもがどのような被害に遭ったかという報告が24時間送られてきました。これを案件ごとに分類するのが私の仕事です。地雷被害、レイプ、目の前で親が殺されたトラウマ――。当時2歳だった息子と重なり、毎日報告書を読みながらワンワン泣きました。とても続けることはできません。

次に紹介されたのが国連開発計画(UNDP)です。その後職員となり、主にジェンダー担当部署で、1997年から8年間、世界各地で女性のための教育や雇用、政治参加を支援しました。海外出張のときは前夫に預けることもありましたが、アジア出張なら息子と一緒に成田まで行き、実家に預けてから現地で仕事して帰りに成田でピックアップしてNYに戻ることもありました。

娘がつないでくれた「村のお母さんネットワーク」

2002年に娘を出産したときは、両立支援制度を活用しました。世界保健機関(WHO)やユニセフが2歳までの母乳育児を推奨していることもあり、子連れで出張する場合は娘にも出張経費が支払われます。幸い娘は健康だったので、生後8カ月ごろからカンボジアやタイ、中国、フィリピンなどあらゆる仕事先に連れて行きました。私が1人で現地を訪れると「NYから来た国連の人」といったよそよそしさがありますが、娘を抱っこして訪れたら村のお母さんたちと一気に打ち解けます。しかも子育てのアドバイスまで。現地の女性たちとフラットに話せる関係が築けたのは娘のおかげです。

子連れで海外出張のときはいつも大きな荷物を抱えていた。2003年のカンボジア出張の際は妹も同行してくれて助かった(プノンペン空港で、本人提供)

内戦が終わって間もないカンボジアにも行きました。男性は戦死しているか、生きて戻ってきても身体に障害を負っていたり、精神的なトラウマを抱えたりしています。復興の中心に立つのは女性。地雷があれば大けがをするけれど、家族のために水をくみ、農作業をしていました。そして稼いだお金は子どもを食べさせるため、教育を受けさせるために使います。子どものためには何でもするという母親の執念を感じ、同じ母として彼女たちをサポートすることが次の時代につながるのだと強く感じました。生まれた場所と時代や環境が違うだけで、同じ女性・同じ母親でも全く違う経験をするわけです。自分自身が女性であり母親であったこと、そして娘を産んだことによって自分のこととして取り組むことができました。

ただ、子どもが2人になったことで子育てのハードルが一気に上がったのも事実です。1人と2人では負担が全く違います。毎朝、大きな荷物を持って慌ただしく家を出て、娘を保育所に預け、息子を小学校に送り、コーヒーを買って職場に着いたらハァー、って一休み。仕事中は自分のことだけ考えればいいので超ラクです。夕方になると走って2人の子どもを迎えに行き、息子をサッカーの練習に送り届けたら娘とタクシーで帰宅して夕食の準備。その後また息子を迎えに行って3人で帰宅するという日々です。体力的には一番キツイ時期でしたが、仕事を辞めるという考えはありませんでした。

年は離れているが、娘の運動会や学芸会など学校行事には息子が必ず来てくれた(2009年秋、本人提供)

国連を辞めたのは、前夫が日本に転勤になったから。少し悩みましたが、アスターという当時の女性上司に「仕事はいつでも戻れるけれど、子育てはあっという間だから子どもの成長に寄り添うのもいい」と言われ、4人で帰国することを決めました。ジェンダーの専門家として8年間キャリアを積んだので、どこへ行っても生かせるだろうという思いもありました。ただ、帰国後まもなく離婚することになったのは想定外でした。

家は「子どもが安心できる場所」

シングルマザーとして就職することも考えましたが、どの会社も長時間労働で子育てと両立できません。生活環境が大きく変化しただけに、子どもとの時間を最優先にしようと思いました。シングルマザーになれば社会からは厳しい目で見られると思い込んでいましたが、杞憂(きゆう)でした。国連の同僚に離婚を報告すると「おめでとう。これでやっと自由で独立した女性になったわね」と祝福される始末。実際に、全て自分1人でやると覚悟を決めたら、ストレスからも解放されました。相手に期待するからストレスになるのです。日本に戻って息子はインターナショナルスクールに、娘は日本の幼稚園に入りました。

NYで暮らしていたとき、息子は夏休みになると私の実家に行って日本の小学校に通っていました。小さいときにはなじんでいたのですが、4年生の時に違和感を覚えたようです。サッカーで友達ともめ、殴られたことがありました。本人いわく、同級生がなぐるのは仕方ない。でもそのときに先生がきちんと指導せず、「だめだぞー」とにやにや笑いながら言った姿に不信感を抱いたそうです。日本の先生は信用できないと。米国の学校では暴力は絶対に許されません。殴った生徒も親も校長室に呼ばれて処分を受けます。そんな経験もあり、子どもが希望する学校を選びました。

子どもにとって家は「安心で安全な場所」であってほしいものです。一緒にごはんを食べ、たわいもないおしゃべりをし、ゆっくりくつろぐ。それでいいのです。家が緊張感のある場であってはいけないと思い、子どもにとって安心できる家づくりを心がけました。ただ、その決断ができたのはNY時代に夢中で働き、経済的な蓄えがあったからです。母が常々話していた「女性が経済的に自立することの大切さ」を改めて感じます。

帰国後は、毎年必ず実家の近くの江島神社に3人で初詣に行く(2020年1月、本人提供)

今年は年初に受けた人間ドックで初めて引っかかりました。しかも4つも。大事には至りませんでしたが、その後、新型コロナウイルスの感染拡大で家にいることが多くなり、娘とウオーキングをしたり、オンラインのパーソナルトレーニングを一緒に受けたりしながら自分の生活を見つめ直しました。子どももそれまでは部活や勉強に忙しかったので、こんなに一緒の時間を過ごしたのは久しぶりです。

振り返れば、流れ流れてここまで来た私の人生です。だから我が家の家訓は「流れ着いた先が最高の場所」。夫とは別れましたが、彼と結婚するために大学院に進学し、息子を妊娠して人権問題に興味を持つようになりました。離婚したことで子どもとの時間を最優先に考え、フリーの専門家としてキャリアを積んできました。目標をもって進むことも大切ですが、その場その場で一生懸命努力すれば新しい道が開けると感じています。息子も希望していた米国の大学には進学できませんでしたが、日本の大学に通ったから英国に留学し、そこで築いたネットワークがいかされて今は気候変動やサステナビリティーに関する仕事をしています。高校3年生の娘は受験勉強中ですが、兄のアドバイスもあり、幅広く物事を学べるリベラルアーツを専攻しようと考えているようです。自分の興味のある分野に進み、互いに助け合えるような人間関係を築いてほしいと思っています。

(聞き手は女性面編集長 中村奈都子)

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