加速する三井物産の印鑑レス それでも残る「岩盤」

日経ビジネス
2020/9/11 2:00
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三井物産の新本社は、社員一人ひとりの決まった席はなく、ペーパーレスが進んでいる

三井物産の新本社は、社員一人ひとりの決まった席はなく、ペーパーレスが進んでいる

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新型コロナウイルスの感染拡大の結果、在宅勤務によるテレワークが当たり前になり、様々な局面で接触を減らす努力がなされるようになった。変化を余儀なくされる中で浮かび上がってきたのは、デジタルを使いこなせていない日本の姿だ。押印のための出勤など、デジタル化を真剣に進めていれば、容易に解決できた問題も多い。多くの日本企業も、コロナ禍を契機にデジタル化をもう一歩進めようとしている。新本社の本格稼働を機に「印鑑レス」を加速している三井物産の事例を紹介する。

机に置かれた決裁箱。印鑑待ちの稟議(りんぎ)書の山を取り出し、次々とはんこを押していく──。コロナ禍は日本のオフィスのこんな日常を変えられるのだろうか。

2020年6月に東京・大手町の新本社を本格移動させた三井物産が「印鑑レス」を加速させている。電子署名サービス大手の米ドキュサインのサービスを全社に導入。新型コロナウイルスの脅威がまだ広がっていなかった2月と比較すると、6月の利用数は10倍以上になった。

新本社は、社員一人ひとりに割り当てられた席がない。執務席は本社で働く4500人に対し7割しか用意されておらず、社員には高さ約50センチのロッカーが割り当てられただけ。その日、仕事をする席は、その日ごとに選ぶフリーアドレス制だ。

新オフィスは社内外の活発な交流を期待しての仕掛けだが、大量の書類を持ち歩いて座席を探していては、かえって効率が落ちる。新本社の移転前にペーパーレスをなじませる必要があると、19年11月にドキュサインを使い始めた。世界で50万社以上が利用し、最大手とされる。

クラウドに契約書や稟議書などの書類データをアップし、関係者はクラウド上で承認(署名)する。社員が書いた稟議を上長が承認すると、さらに役員へ通知が行くといった具合にワークフローが可視化される。自分が提出した書類の決裁がどこまで進んでいるか不安になることもない。

三井物産には、はんこ待ちの紙は「インボックス」、はんこを押した後は「アウトボックス」という箱に入れる慣習があるが、新本社移転によりかなり廃れたという。

はんこレスの習慣をさらに加速させたのが、新型コロナだ。ドキュサインの利用数は19年11月が66、12月は306と、そろりと滑り出したが、20年3月は2364と、2月(651)の3倍超に急伸。4月は5940、5月が6491と増え続け、6月以降は7000を超えた。赤石理・企画法務室室長補佐は、「1~2月は取引先にドキュサインに移行したいと申し出るのを面倒がる雰囲気があったが、コロナで一気に変わった」と話す。

ある社員は「ドキュサイン導入後、稟議の文章直しに伴う再提出が減った。紙で回ってくると上司は、『てにをは』を直したくなるが、デジタルだと突き返すのをためらうようだ」と笑う。

導入前に多かった疑問は「法務的に通用するかどうか」だった。総合商社は、取引先が世界にまたがるため、「この国も使えるか」「紙を使わなければならない分野はあるか」など実用面での不安を解消する必要があった。

このため国際的な法律事務所や現地法人の法務担当の協力を得て、主要取引国上位約30カ国を調査。十数カ国でドキュサインが利用できると判断し、紙の契約を前提にした内規を変更した。グループ会社も含めて10回以上の説明会を開き、日本の法律に必要なカスタマイズを行い、準備に1年かけた。

安永竜夫社長は就任直後に取締役会資料を電子化するなど率先してペーパーレス化を進めていたため、社内への浸透も速かった。現場からの意見で、韓国やカナダなどに対象国を広げたり、通関用の書類に適用したりと改善を進めた。

デジタル総合戦略部の下田幸大氏は、「デジタル、法務、財務部門が三位一体になって進められた」と語る。

■それでも社印を押しに出社する法務担当

三井物産で急速に浸透するペーパーレスだが、「岩盤」が残っている。

ドキュサインは、対外的な契約書だけでなく、稟議(りんぎ)書や月報、報告書など社内の書類にも使われている。社外と交わしている紙の売買契約書は年5万件程度。ドキュサインの利用数月7000のうち8割が社内、2割が社外となっており、社外文書の電子化率は3割程度となっている。

取引先にドキュサインの利用を依頼すると、「ITの会社でも、『契約に関するルール変更を取締役会にかけなければならない』と返答がくる」(下田氏)。ドキュサインを利用する際は、三井物産がライセンスを持っていれば取引先は不要だが、契約書にまつわる内規という壁は高い。同じ反応はグループ会社からも出たという。

もっと硬い岩盤は、「行政」だ。ドキュサインの利用が加速した4月以降も、法務部の社員は「社印」を押すために交代で出勤した。

例えば、農薬や劇物などの化学品関係で農林水産省などに提出する報告書は、「営業担当から『どうしてもはんこが必要です』と要望があった」(赤石氏)。外国政府に提出する書類の作成や商業登記の変更、トラックや乗用車の所有名義の変更──。総合商社の業務は多岐にわたるので仕方がない面はあるにしても、多くが行政向けだ。緊急事態宣言時は、曜日や時間を限定して社印が必要な書類を受け付けた。

財務担当も頭を悩ませている。税務調査では、電子帳簿保存法が求める「検索機能の確保」に対応が必要だが、ハードルが高く十分に進められていない。

同法は、「取引年月日、勘定科目、取引金額その他のその帳簿の種類に応じた主要な記録項目を検索条件として設定」でき、「日付又は金額に係る記録項目については、その範囲を指定して条件を設定」できることなどを求めているほか、訂正や削除履歴が確認できることも必要とされている。

契約書だけでなく、領収書、請求書、業務委託に関する書類、委任状など文書の種類ごとに要件を備えるコストが高く、三井物産はさしあたり契約書だけ対応した。

紙からデジタルになるなら、「より便利に使えるべきだ」という「ディマンディング(過剰要求)現象」がデジタル化を阻んでいる一例だ。

■レガシー企業こそ取り組むべき価値がある

19年10月、三井住友フィナンシャルグループ(FG)は、電子契約サービスを手掛ける弁護士ドットコムと合弁会社、SMBCクラウドサイン(東京・港)を設立した。

契約書をクラウドにアップし、「いつ」「誰」が契約を承認したかを、電子署名と暗号技術を用いて改ざんできないように記録する「立会人型」と呼ばれるサービスで、ドキュサインと同じタイプだ。銀行の取引網を通じて、売り込んでいる。

4月の緊急事態宣言を受けて、外資系とIT系企業がこぞって導入している。導入期間は約2カ月から、2~3週間に縮まった。利用者数は1.5倍に増え、契約送信数は10倍になった。

大手企業も6月頃から動き出した。緊急事態宣言で業務がストップし、電子契約の必要性を体感して「本腰を上げ始めた」(SMBCクラウドサインの三嶋英城社長)。コロナ以降、「電子契約はNO」と安易に断ってはいけない雰囲気が高まっている。

三井住友FGが、電子契約サービスに参入したのは、銀行の信用力が生かせるリーガルテックに狙いを定めたと同時に、銀行こそが印鑑に縛られている業種だからだ。銀行に届け出た印鑑と異なる印鑑を書類に押してしまった「印鑑相違」は、利用者、銀行の双方にとって大きなストレスだ。

三嶋社長は、「『レガシー企業』の代表格である銀行が取り組むことに意義がある」と話す。メガバンクや総合商社という日本を代表する企業が日本をデジタル先進国へと導こうとしている。

(日経ビジネス 鷲尾龍一)

[日経ビジネス電子版2020年9月9日の記事を再構成]

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