ウソかまことか、先発投手の「100球限界説」

中日の大野雄大が9月1日の広島戦で5試合連続完投勝利をマークした。先発、中継ぎ、抑えの分業制が定着し、一度も完投せずにシーズンを終える先発投手も珍しくなくなった中、これだけの試合を誰の救援も仰がず一人で投げきったのは見事。さらに直近2試合は完封で、まさにエースの働きだ。
■疲れ知らずだった先人たち
大野への称賛は惜しまないが、かといってさほど驚きを感じないのは、先発完投が当たり前だった時代に私が現役生活を送ったからだろう。阪急とオリックスで活躍した佐藤義則は1993年、38歳で延長12回を一人で投げ抜いて白星を挙げたことがあった。球数は何と218。それでも潰れずこの年は9勝、40歳に達した94年も8勝を挙げ、98年まで現役を続けた。佐藤のタフネスぶりはずぬけているとしても、どのチームも先発投手はまず一人で投げ抜くものだった。
いつしか完投を当然視するならわしはなくなり、100球到達がある意味、先発投手のゴールになった。米大リーグの慣習が持ち込まれたわけだが、向こうは中4日で先発ローテーションを回す前提として100球が目安になっている。基本的に中6日も登板間隔がある日本で、球数だけ大リーグ式を取り入れるのはどうなのか。

私はフルマラソンを何度か走っているが、一度サロマ湖100キロウルトラマラソンに出た時、42.195キロがとても短く感じた。やはり何度もマラソンを走っている上岡龍太郎さんと話した時、こんなことを言っていた。「人間てね、大体、目標の4分の3のところが一番しんどく感じる。40キロ走ろうと思ったら30キロでしんどくなる。100キロ走ろうと思う人がしんどく感じるのは75キロで、30キロではしんどいとは思わない。人間って面白いよね」
この「4分の3理論」を当てはめると、100球を目安にする場合は75球くらいで疲れを感じ始めるのかもしれない。体はなんともないのに、100球に近づくことで脳が勝手に「疲れた」と感じることもあるはず。本人も投手コーチも球数を数えず、何球投げたか分からないようにすれば、100球を超えても案外、すいすい投げられるかもしれない。大野が完投した直近5試合では7月31日のヤクルト戦で128球、他の4試合は110球以上投げているが、球威の衰えはほとんど見られなかった。
■120球を上限の目安に
まだ五回や六回なのに、100球に達したからと判で押したように先発を降ろしていては、救援陣にしわ寄せがいくばかり。まだ投げられそうな先発投手が降りることで、かえって相手打線が活気づくこともある。機械的に球数だけを目安にすると思わぬ落とし穴にはまりかねない。
先発投手が完投を現実的な目標と捉えられるよう、1試合の"上限"の目安を100球から120球に引き上げてはどうか。ベースが上がれば、ゴールと捉えていた100球が通過点にすぎなく思える。120球という未知の世界に足を踏み入れることで自身の可能性が広がる投手もいるだろう。かつては日本も先発が中4日で投げ、かつ完投を目指した。心のバリアーを取り払えば「100球限界説」は無きものにできるはずだ。

やはり大リーグから持ち込まれたものに「クオリティースタート」がある。6回以上を投げて失点を3点以下にとどめる内容を指すが、この考え方も先発投手から完投への意欲を奪ったといえないか。6回で御の字ならあとの3イニングは救援陣に任せ、余った力は次の登板にとっておこうと考える投手もいるだろう。
失点が全て自責点だとして、6回を投げて自責点3なら防御率は4.50。およそクオリティーを伴う内容とはいえない。私は、先発投手が目指すべき防御率は3.50以下だと思っている。6回で自責点2なら3.00で、せめてそこを最低ラインにしてほしい。6回3失点でノルマ達成と思ってもらっては困るし、そもそも6回でよしと思っていてはそれ以上のイニングは投げられない。
■疲れた気にさせてはいけない
救援投手がピンチなどで登板し、次の回も投げる「イニングまたぎ」も近年使われ出した言葉だ。複数イニングにまたがっての登板は負担が大きいという考えが背景にあるが、かつて斉藤明夫(明雄、元大洋・横浜=現DeNA)や鈴木孝政(元中日)が抑えをしていたころは3イニングを投げるのが珍しくなかった。今は敗戦処理などでのロングリリーフはあっても、基本的に救援投手が担うのは1イニングのみ。そうまでしなければならないほどプロの投手はやわではないはずだが……。
ともすると先のことばかり考えて短いイニングでマウンドを降りたがる投手もいる中、大野の快投は現在の投手起用のあり方に一石を投じる格好になった。2018年に10完投した巨人の菅野智之なども一人で投げきること、リリーフ陣を休ませることへの意識が強く、そういう投手が多くいるとチームの総合力が高くなる。短すぎる登板間隔や過度な連投は論外として、疲れてもいないのに疲れた気にさせるやり方は選手の伸びしろを小さくする。プレーヤーの器を大きくする意味でも、あまり過保護にしない方がいいのではないだろうか。
(野球評論家)