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塚越斧太郎氏 もうけを地所や事業に投資せよ

2020/10/17 2:00
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大正から昭和の初めにかけて米相場が大賑わいをみせた。その頃の米穀市場はスペキュレーションの花と称された。主役はヤマタネこと山崎種二で、新聞は「勝利投手のヤマタネ君」などと書き立てた。山種を核に多くの仕手戦が繰り広げられたが、飛騨高山出身の相場師、塚越斧太郎は時には友軍として、ある時は敵対し市場を盛り上げた。

ヤマタネが述懐する。

「私が米相場で喧嘩の味を覚えたのは萩長、小河謙、杉本さんが買い方で、塚越、吉川さんが売り方であった大正15年の11月限の受け渡しに朝鮮米の格付けでごたごたの起きた時です」

この時ヤマタネは塚越らの渡し米の調達係として駆けずり回わる。市場の前評判では、塚越ら売り方は踏み上げで敗北必至とみられていたが、朝鮮米に目を付けたヤマタネの奔走が功を奏し、土壇場で逆転、塚越は命拾いする。翌昭和2年の米相場ではヤマタネの売りに塚越らが買い向かう戦いが繰り広げられた。

その頃、報知新聞経済部の記者が相場戦術の極秘を教えろとやってきた。

「飛騨の山奥から1円25銭持って上京し、100万円をつかんだ当時を回顧してみると、格別の戦術も何もなかった。ただぼうとして金がもうかったとしか思えないが、人には塚越が相当えらく見えたことであろう。大正10年ころ大いに当たった時にさらりと見切りをつければ大金持ちに成りすましたはずだが、どうも始終張っていては結局失敗に帰するものです」(報知新聞経済部編「戦術百態」)

塚越はこれまで多くの相場師と戦ってきたが、相場でもうけた金を地所や事業に投資したものが成功し、生涯相場を張り続けた連中は大体失敗に終わっているという。そしてナンピン戦法を主唱する。これは少々意外である。「ヘタなナンピン素寒貧」と言われ、今日では典型的な素人戦法とされているからだ。

「自分の経験や人の張り方を見てきて、引かれナンピンが成功の基本だと思う。引かれながらに理想に向かって進まなければ相場は大きく取れません。私の癖は天災期のサヤを非常に気にして値ごろの如何を問題にせず、順ザヤには買い、下ザヤには売り方針を立てますが、これは今日でも変わりません」(同)

期近(当限)よりも期先(先限)が高い状態なら買い、逆なら売りに出る。これはオーソドックスな戦法である。そして天候相場期(7~9月)における当限・先限間のサヤを重視するのが塚越流。

「売り好き、買い好きは相場師につきもののようですが、買い好きの人は失敗しがち、私も買い建てで手ひどくやられました。大阪の誰やらが、米は1年間に買い月は2カ月にすぎないといったが、なるほどと感じている。それから需給関係を重く見て張るものではない。……財界の大局から物価の帰趨を観察し、天井底値の目標をつけて出なきゃいけないのです」(同)

一般経済界の流れと米相場は付かず離れずの関係にある、とみる塚越は老境が近づきつつあるが、「まだこの元気ですから、一番気持ちのいい思惑をしてみたい」と語る。気持ちのいい思惑とは、余裕資金での長期投資のことだろうか。=敬称略

信条
・順ザヤは買い、逆ザヤは売り
・需給関係を重く見ない
・引かれナンピンが成功の基
・経済界の大きな流れを見て天井・底値の見当をつける
・相場でもうけた金は不動産や事業に投資
(つかごし おのたろう 生没年不詳)
岐阜県出身、大正から昭和初期にかけての米相場師。わずか1円25銭のカネを持って上京、一時は100万円の巨利を博したが、もうけた金で相場を張り続けたため大成できなかった。「相場の神様」ヤマタネと連合したり、敵対したり、「米界仕手」として市場を盛り上げた。

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