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ファイトマネー10倍 コロナ下、ボクシング興行に知恵

2020/9/4 3:00
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8月31日に新宿の小ホールで開催された興行。チケットは販売しなかったが、興行収益は黒字となった

8月31日に新宿の小ホールで開催された興行。チケットは販売しなかったが、興行収益は黒字となった

7月から再開されたボクシングは、新型コロナウイルス感染防止で厳しい客入れ制限が続く。興行収入の大半を占めるチケットの販売減は死活問題だが、手をこまぬいてばかりもいられない。コロナ下でもファイトマネーを大幅に増やした興行もある。従来の手法にとらわれない、新たなモデルの中身とは――。

8月31日、東京・新宿の小さなイベントホールでボクシング興行が開催された。全6試合でタイトルマッチはなし。もちろん、テレビ放送もない。「密」を避けるためチケットも一般販売されず、入場したのは招待された数十人だけだった。そんなひっそりと行われた小興行で、一人の前座ボクサーが「過去最高の10倍」ものファイトマネーを手にした。

2回KOで敗れた山口拓也(ワールド日立)が得たのは手取りで約80万円。通算4勝12敗2分けの無名選手に日本王者クラスに匹敵する報酬が渡った理由は、インターネット上で行われた「投げ銭」、そして動画投稿サイト「ユーチューブ」を駆使したプロモーションだ。

事前にユーチューブで公開された紹介動画の効果もあり、一般には無名の山口(右)に80万円近い投げ銭が集まった

事前にユーチューブで公開された紹介動画の効果もあり、一般には無名の山口(右)に80万円近い投げ銭が集まった

1口500円の投げ銭に火がついたのは、8月1日に山口の紹介動画がユーチューブで公開されてから。茨城の田舎町の小さなアパートで一人暮らし。コンビニのアルバイトで生計を立て、いまだ従来型携帯電話「ガラケー」を使う35歳、中年男のしがない生活を追った動画は、最後にその切り詰めた生活の理由が認知症を患う母の介護費用のため、という告白で終わる。

どことなくユーモラスでほっこりさせる動画が公開された後、山口への投げ銭が殺到。結局、試合当日までに77万円超が集まった。もともとの山口のファイトマネーは手取りで8万円。これに投げ銭の手数料を引いた約90%が加わる。これには山口本人も「自分は何もしていないのに」と驚いた。

出場した全12選手に集まった投げ銭の総額は約150万円。メキシコ帰りの実力派としてメインイベントを務めた坂井祥紀(横浜光)にも40万円近く集まった。ボクサーは通常、ファイトマネーに加え、自ら後援者や友人に売るチケット代、トランクスに付けるスポンサーロゴなどが収入源。現状では客入れ制限で売るチケットがほとんどないだけに、「本当にありがたい」(坂井)と選手も喜んだ。

「無観客でどうやって興行を成り立たせるか、それが全ての出発点。チケット以外に『売れるもの』を考えた」。こう語るのは今回の仕掛け人、横浜光ジムの石井一太郎会長(38)だ。興行は八王子中屋ジムの中屋一生会長(41)との共催で、中屋会長が主に協賛スポンサーを集める一方、石井会長が目をつけたのがインターネットやSNS(交流サイト)によるマネタイズだった。

横浜光ジムの石井会長。様々なアイデアで業界に新風を吹き込んでいる

横浜光ジムの石井会長。様々なアイデアで業界に新風を吹き込んでいる

投げ銭以外にもフェイスブックで期間限定の有料オンラインサロン(最低額2980円の任意課金)を開設し、様々な選手の情報や独自コンテンツを発信。そして、試合当日はユーチューブで3時間半にわたって無料ライブ配信した。3000~5000人のライブ試聴があり、翌日には総視聴回数が5万を超えた。

石井会長は興行タイトル「A-SIGN.BOXING」を冠したユーチューブチャンネルを運営している。業界の仕組みや過去の名選手、注目試合の見どころをわかりやすく語る内容が支持され、現在3万2000人の登録者がいる。山口を追いかけた動画もここで公開して投げ銭につながった。オンラインサロンの参加者が興行スポンサーになってくれるなどしたという。

動画の再生が増えればユーチューブからの収益も増える。「オンラインサロン、投げ銭、ユーチューブの3つをどうひも付けるかがカギだった」。それぞれの発信が相乗効果となって拡散し、通常のチケット主体の興行とは桁違いのファンにリーチできたと考えている。

石井会長は元ボクサーで、現役時代はライト級で日本と東洋太平洋の王者にもなった実力派だった。引退後はトレーナーになったが、9年前に転機が訪れる。資金力のあったジム会長が急逝。大きな後ろ盾を失う中で29歳の若さで会長を引き継ぎ、畑山隆則ら世界王者も輩出した名門ジムの看板を守るべく奔走してきた。試合の有料配信に取り組んで本人いわく「大失敗」したこともあるが、この行動力と進取の精神で古い業界に新風を吹き込んでいる。

前WBO世界王者の伊藤(右)は11月5日に東洋太平洋王者の三代との対戦を発表。この一戦もテレビでなく、ユーチューブで配信される

前WBO世界王者の伊藤(右)は11月5日に東洋太平洋王者の三代との対戦を発表。この一戦もテレビでなく、ユーチューブで配信される

「今回は一つの実験」と語る石井会長の頭の中には、既に次の企画がある。8月31日の興行では、世界ボクシング機構(WBO)スーパーフェザー級前王者の伊藤雅雪(横浜光)が11月5日に東洋太平洋王者、三代大訓(ワタナベ)と対戦すると発表した。普通ならテレビ放送される好カードだが、ユーチューブでライブ配信する。

「テレビに負けない演出を考えている」(石井会長)。世界王者経験者がユーチューブで試合をするのも異例だが、伊藤は「テレビじゃないと、というこだわりはない。石井会長の企画力を間近で見てきて、僕もやってみたいと思った」と語る。

コロナ禍でいつ観客をフルに入れられる日に戻れるか見通せない。テレビ局の制作予算も削られるなか、放送権料もじり貧だ。今回の挑戦は小さな一歩かもしれないが、こうした新しい発想がボクシングのような古い世界にこそ必要なのだろう。

(山口大介)

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