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水をつかみ、努力重ねて 競泳自由形・塩浦慎理(中)

2020/9/5 3:00
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「水に浮く子を初めて見ました」。塩浦慎理(イトマン東進)の母・志子は、息子が幼稚園の頃に通ったスイミングスクールのコーチにかけられた言葉を今でも鮮明に覚えている。「当時は意味がよく分からなくて。数年後、ジュニアオリンピックで隣を泳ぐ子と見比べたら、慎理は本当に体が水の上に乗っていた」

競泳のコナミオープン男子50メートル自由形決勝で力泳する塩浦(2月15日、東京辰巳国際水泳場)=共同

競泳のコナミオープン男子50メートル自由形決勝で力泳する塩浦(2月15日、東京辰巳国際水泳場)=共同

3兄弟の次男として生まれ、2歳で水泳を始めるとすぐに頭角を現した。天性の水をとらえる感覚に加え、小学校卒業時にはすでに約180センチとスプリンターに必要な上背にも恵まれた。全国中学校体育大会で2冠、全国高校総体で2冠など着実にトップスイマーへの道を歩んでいった。

努力する才能も人並み外れたものがあった。湘南工科大付属高で水泳部監督の三好智弘によれば「地味な持久系の練習ばかりやらせたが、一度も文句を言わなかった」。ランニングなど苦手な陸上トレーニングにも黙々と取り組んだ。おまけに成績はオール5。「高校時代は正直、パーフェクト。校内の憧れの的だった」と三好は振り返る。

そんな順風満帆な競技人生の勢いが止まったのは大学3年の春だった。2012年ロンドン五輪の代表入りをかけた日本選手権の1カ月前、調整大会で左手の人さし指を骨折。不安を抱え臨んだ選考会では、50メートル、100メートル自由形ともに3位に終わった。「中学時代からナショナル合宿に行くたび『ふるいにかけられている』と感じてきた。五輪代表から漏れ、ふるいに残れなかった。自分はそっち側の人間なんだと思った」

夢の実現まであと一歩のところでの挫折。折れた心には「引退」の2文字が浮かんだ。中大水泳部の監督や家族に相談すると「やめたいならやめればいい」と、意外にも引き留める言葉はなかった。「大学4年まで適当に水泳やって終わりかな」。就職活動を始めていた周りの学生にならって、企業説明会に参加したこともあった。

ただ、闘志の炎は完全には消えていなかった。同年9月の日本学生選手権。男子50メートル自由形で当時持っていた日本記録を、隣で泳いだ1学年上の伊藤健太に塗り替えられた。「悔しかった。でも、悔しさを感じられるのならまだやれるのかなと思った」。大会後、半年間くすぶる姿を黙って見守ってくれていた母に伝えた。「もう一回やるから、応援お願いします」

翌年、初めて日本代表入りを果たす。16年には5年越しの夢をかなえ、リオデジャネイロ五輪に出場。毎年「ふるいに残り」、今なお男子短距離自由形の先頭を泳ぎ続けている。

=敬称略

(堀部遥)

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