今日も走ろう(鏑木毅)

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誰でも登れる「真実の山」 ただ身を置く時間堪能

2020/9/3 3:00
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半年ぶりに出かけた山で多くの気付きを得ることができた

半年ぶりに出かけた山で多くの気付きを得ることができた

8月上旬に実に半年ぶりに山へ出かけた。小学生の頃から山に親しみ、トレイルランニングと出合ってから23年が経つけれど、これほど長い間、山から離れていたことはない。それだけに感慨深く、自分の山とのかかわり、つまりなぜ山が私にとって必要なのか、を改めて考える機会となった。

サラリーマン時代、週末になると山に出かけていた。大概は一人でトレイルランニングのスタイルだった。当時は山を駆けるということ自体が刺激的だったし、まだ知らないさまざまな山の頂を踏んでみたいという思いに突き動かされていた。仕事に追われるウイークデーで積もり積もった煩わしい悩みごとが週末の山行きで解決するわけではないものの、少し見方を変えれば大したことでもなく思え、心の重しを難なく取り外せた。このような日々を重ねるうち、頂上を踏むという目的がなくても日没までの時間を気ままにたどるだけで、心を豊かにするスイッチを押せることに気づいた。

さらに山では大きな決断もできる。40歳を目前にして15年間勤めた公務員を辞めプロランナーになろうと決めたのは群馬県神流(かんな)町の過疎の無名な山域にいた時のことだった。訪れる人も少なく、もの悲しい雰囲気でいて山村の原風景が残り、どこか懐かしい森が気に入り、何度も訪れていた。夕暮れ時に薄暗い森にわずかな光がぱっと差し込んだ瞬間、決心がついた。日常を離れた山という異空間での自然現象には、新たな思考法を生み出すダイナミズムのカギが隠されているのかもしれない。

それからは山へ行く時には解決すべき事項を事前にメモするようにしている。はたして実際に駆け出すと、得てして全く異なることが頭をよぎる。それは自分の意識の底に潜んでいたものに違いないものの、なぜか日ごろ気づかずにいた重要なことだから不思議だ。

哲学者ニーチェの言葉に「真実の山では、登って無駄に終わることは決してない」というものがある。これは登頂と言う最終目的を果たさなくてもその過程が大切という意味にもとれる。

ここ20年ほど深田久弥の著書「日本百名山」はある種のブランドとなり、これを道しるべとして訪れる登山者が増えた。人気があるのは最も楽に早く登頂できるルートだという。もちろん、これまで山にはあまりなじみのなかった人々を山へといざなった功績は無視できない。ただそこでは登山本来の楽しみ方をやや見失いがちのように思えてならない。

目標を定めると、登山は厳しくつらくなる。非日常の時間を純粋に楽しむことを最優先し、山に身を置く、ただその時間を堪能してみてはどうだろう。幸い、類まれな山岳自然に恵まれたこの国には、手軽に楽しめる山が身近にまさに山の数ほどある。先行きが見通せず、長びくコロナ禍において、多くの人々の心が無意識のうちにむしばまれている。解決に至る明確な答えはそこになくとも、山は何かしらの糸口を示してくれる。真実の山には誰でも出合えるはずだ。

(プロトレイルランナー)

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