低待遇が招く中国の医師不足(The Economist)

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2020/9/1 0:00
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中国語は簡潔で皮肉の効いた言い回しに富んでおり、その多くは普遍的な真理をついている。一方で、中国独特の世界観にあふれる格言も多い。「医者の子は医者にならない」という意味の表現もそうだ。

中国では地方での医師不足が深刻で、大都市の病院では長時間待たされることも珍しくない=ロイター

中国では地方での医師不足が深刻で、大都市の病院では長時間待たされることも珍しくない=ロイター

例えば最近、中国の病院の院長が収賄で逮捕されたり、偽造薬の製造を巡る新たな疑惑が浮上したときなどに、皮肉を込めて用いられた。あるいは、医者が職場で刺されたり襲われたりといったニュースを耳にしたときにも使われる。中国医師協会が2017年に実施した調査によると、医師の実に3人に2人以上が病院で暴行や脅迫を受けたことがあるという。このような行為は、患者の怒った親族によるものが多い。医者の中で自分の子どもを医者にしたい人はほとんどいないという調査結果が相次ぐのも不思議ではない。

ベテラン医師でも平均的な年収は150万円強

中国以外では医業は家業という考え方が色濃く、医学倫理の専門誌でこのトピックに特化した研究論文が掲載されるほどだ。こうした研究の一つによると、米国の医学生の5人に1人は親が医師だという。だが、中国では医師は社会的に地位が高い職業でもなければ、特段に報酬が良いわけでもない。ベテランの医師でさえ平均的な年収は10万元(約150万円)強で、大都市ではとても高収入とはいえない。

そして新型コロナウイルス危機が発生した。中国共産党指導部は感染拡大への対応は大成功だったと宣言し、医師や看護師の功績を積極的にたたえている。中国の大半は通常に戻ったような雰囲気で、お祝いムードすら漂う。感染者数が十分に少なくなったため、当局は数カ月前に発令した厳しいロックダウン(都市封鎖)や出入国規制を緩和しつつある。ただし、都市部の市民に対し、公共の建物に入ったり列車や飛行機を利用したりする際にスマートフォンでQRコードを読み取ることを強制するデジタル追跡システムの廃止は急いでいない。

新型コロナの拡大封じ込めをたたえる当局

武漢で最初の流行が始まった際、市当局が数週間にわたって事態の重大さを隠し、警鐘を鳴らした医師を処分したことを隠蔽した事実は、公式に伝えられることは一切なかった。他方で、国が功績を認めた選ばれた医師や科学者には、中央当局に対応を促したとして勲章や表彰が授与されている。

北京の中国国家博物館では、新型コロナと闘う医療従事者をテーマにした新しい美術展が開催されている。そのオープニングでは、中国の感染症研究の重鎮として1月後半に国営テレビで新型コロナの人から人への感染を確認したと明らかにした83歳の呼吸器科の医師、鍾南山氏の巨大な肖像画が公開された。嵐の空を背景に目に涙をにじませた鍾氏を描いた作品には、「共産党員の鍾南山氏」とキャプションが付けられている。他の作品では、エリートが集まる北京の病院からボランティアとして武漢での治療に当たる若い医師たちが休憩時間に中国共産党の習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)へ愛国的情熱を伝える手紙を書くシーンが描かれている。

この展覧会は中国国籍を持つ人しか観覧できないため、筆者はお気に入りの作品を写真でしか見たことがないが、その作品はタンカと呼ばれるチベットの掛け軸だ。伝統的な衣装を着た3人が漫画風の不快な表情を浮かべた新型コロナウイルスの球を炎が燃えさかる(地獄のような)穴へと追いやる様子をマスクをしたヤクが見守っているというものだ。

白衣の英雄たちをたたえるプロパガンダは数カ月にわたって国営メディアにあふれた。そして共感を呼んでいるようだ。中国で最も評価が高い医科大学の北京協和医学院のチャン・シューヤン副院長は国営テレビに対し、同じく北京にある提携校の清華大学医学部もあわせ、志望者数は昨年に比べ30%増加したと語った。

だが、中国の医療制度に詳しい他の専門家は慎重な姿勢を示す。有名なエリート病院の医師を英雄とたたえても、中国の医療制度が抱える大きな構造的問題の解決には全くつながらず、むしろ悪化させる恐れさえある。良質な医療を受けられるかどうかには驚くべき不平等が存在し、大都市の病院とそれ以外では医療の質にとてつもない格差があるという。そのため市民は数が少なく常に超満員の都市部の病院へ殺到し、時にはわずか1分半の診察を受けるため数日待たされる。中国に本当に必要なのは、人々が実際に受診したいと思える小さな町や村の診療所だ。

国内の医療に対する不信感には十分な理由がある。16年の調査では、村の診療所で地域医療に携わる医師のうち少なくとも医学での学士号を取得しているのはわずか0.2%だった。町レベルでも、一般開業医の役割を担う医師で大学を卒業しているのは半数弱にすぎない。

大都市での勤務を希望する医大卒業生

中国トップの医学大学は8年間の実務教育を義務付けようとしている。だが、地方での勤務を希望する学生が無償で医学教育を受けられる制度はあるものの、卒業生の大半は大都市での勤務を希望する。米ノースカロライナ州デューク大学のタン・ションラン教授は、「医大の卒業生が田舎に帰って人々に貢献したいと思えるだけの適正なインセンティブを作り出さなければならない」と指摘する。

さらに、医大を卒業してもほぼ3人に1人は医者にはならないらしい。大都市の病院に就職するのは至難の技で、一方で地方の総合病院は新卒の医師の採用に苦労している。地方で勤務するぐらいなら製薬会社の営業の方が高い収入を得られるからだ。中国の医師は全体として「正直いって士気は高くない」とションラン教授は言う。中国で病院財政の改革が進むまでは、「善良な心」を持つ医師であっても、薬の処方や検査、手術を必要以上に増やして自分の科の収益(と実績に応じて変動する自分や同僚医師の報酬)を稼ぎ出すプレッシャーに直面することになる。

清華大学で病院経営を研究するリウ・ティンファン教授は、切羽詰まった患者と責め立てられる医師との関係は「もはやうまくは行っていない」と指摘する。関係を修復するには、病院が利益を上げることだけに力を入れているわけではないと人々が信じられるようにしなければならないという。医師が尊敬されるようになるには、より高い収入を約束するとともに、西側のように複数から合法的に収入を得られるようにすべきだ。そうしなければ、コロナ後も「事態はコロナ前に逆戻りするだけだ」と同教授はいら立ちを表す。

医療を巡る不平等の解消が急務

中国語の格言には「医者に会うのは難しくてお金がかかる」というのもある。この言葉が死語になるよう忍耐強く努力していくことは、コロナと闘う英雄を扱った愛国的な展覧会を開催するより地味な仕事だ。だが、病気にかかることが経済的な破滅につながり、貧困が死を意味するような事態があまりにも頻繁に起きる残酷な不平等をなくしていくには不可欠だ。

中国はもう何年にもわたって、輝かしい高速鉄道やオリンピックスタジアム、空母の建造で世界を畏怖させることを最優先してきた。本物の超大国であれば、それに見合った医療制度も作るべきだろう。

(c)2020 The Economist Newspaper Limited. August 29, 2020 All rights reserved.

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