100回記念大会なのに…サッカー天皇杯、コロナで試練
サッカージャーナリスト 大住良之

世界のサッカーファンの耳目はポルトガルのリスボンで行われている欧州チャンピオンズリーグの「ファイナル8」に注がれている。しかし日本では、この大会よりはるかに歴史があり、第100回という記念すべき年を迎える大会が試練にさらされている。「天皇杯JFA全日本選手権」である。
日本サッカー協会(JFA)が誕生した1921(大正10)年に第1回大会が行われた全日本選手権。第2次世界大戦後の48年にJFAに下賜された天皇杯が51年の第31回大会から全日本選手権優勝チームに授与されるようになり、以後一般には「天皇杯」と呼ばれるようになった。
65年に日本サッカーリーグが始まり、93年にはJリーグがスタートして、実質的な「日本チャンピオン」の座は通年で開催されるリーグ戦に譲ったものの、天皇杯はリーグ戦とは違った魅力とスリルをもつノックアウト方式の大会として高い人気を誇ってきた。とくに68年度の第48回大会から原則として決勝戦が元日に行われるようになり、正月の風物詩として親しまれてきた。
Jリーグ中断で日程に大きなひずみ
その第100回記念大会は、本来なら88チームが参加して5月に開幕し、2021年の元日に決勝戦となる予定だった。21年はJFAが創立100周年を迎える年。その歴史的な年のスタートとして、天皇杯決勝戦が華やかに開催されるはずだったのだ。
88チームの内訳は、47の都道府県からそれぞれ1代表の47チームに加え、アマチュアからのシード1チーム(19年日本フットボールリーグ=JFL=優勝、天皇杯では浦和レッズを下してベスト8となったホンダFC)、それにJ1とJ2の計40クラブ。プロでも、J3のクラブは都道府県大会からの参加とされていた。それぞれの都道府県大会には、原則として、JFAに加盟登録している第1種(男子・年齢制限なし)の全チームにエントリーの資格がある。
だが、今年2月下旬、新型コロナウイルスの感染拡大とともにJリーグが中断を決定、JFAの以後の大会も、中止あるいは延期となった。Jリーグは6月下旬に再開されたが、4カ月もの中断は日程に大きなひずみをもたらした。週末だけでなく、水曜日に試合をしなければならないケースが増えた。閉幕も、2週間延びて12月19日となった。

本来なら、J1とJ2のチームは6月の2回戦から登場し、7月の3回戦、8月の4回戦、そして11月の準々決勝まで4つのラウンドを各月の水曜日を使って戦うはずだった。だが長期中断により、天皇杯の試合を入れることができなくなった。
もう一つの問題は、都道府県大会だった。47の都道府県サッカー協会は、5月の1回戦に間に合うよう、4月までに都道府県大会を終了させる予定だった。しかしコロナウイルスの感染拡大により、その大会も大半が消化できなかった。
出場52チーム、当初案から大幅「縮小」
そこで4月、JFAは大会の大幅な見直しを決断した。まず開幕を9月まで遅らせ、出場チームを大幅に減らして50チームとし、都道府県代表47チームにアマチュア代表を加えた48チームで準々決勝まで行う。そして12月27日に設定した準決勝の段階で初めてJ1の1位と2位チームを出場させるという形である。すなわち、J2(22クラブ)とJ3(16クラブ)、そしてJ1の3位から18位まで16チームには、出場権はないということにしたのだ。
2位以内に入れば出場権を与えられるJ1はともかく、J2とJ3の計38クラブに最初から出場権がないのはおかしいと、6月に入ってからJFAは大会方式をさらに変更、計画になかった5回戦を追加し、12月23日の準々決勝の段階でJ2とJ3の優勝チームを出場させることにした。総出場チームは52。いずれにしても、当初の88チーム案からは大幅な「縮小」となったのだ。
その1回戦、9月16日の試合には、47の都道府県代表から32チームが参加し、残りの15チームとアマチュア代表のホンダFCは、翌週、9月23日の2回戦からの登場となる。
その試合に合わせ、各都道府県ではこの猛暑のなか、代表決定の大会が開催されている。東京(9月2日水曜日に決勝戦)などナイターでの開催はごくわずかで、大半は日中の試合。コロナウイルスだけでなく、熱中症にも脅かされての代表決定戦ということになる。
決勝は第99回大会に続いて東京の国立競技場。これだけは、「第100回」の記念大会にふさわしい舞台といえる。

Jリーグのクラブにとって天皇杯は非常に重要な大会である。仮にリーグで下位に終わっても、天皇杯を制することができればアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)への出場権を得られるからだ。だが今年は状況が違う。J1の1位と2位、そしてJ2とJ3の1位チームの計4チームにしか天皇杯に出場するチャンスがないのである。
来年のACLの出場権は、ストレートにリーグステージに進むチームが3つで、プレーオフを経なければならないチームが1つの計4チーム。天皇杯優勝チームはストレートに進むことができ、他の3チームはいずれもJ1の上位ということになっている。J1の1位か2位、あるいはACL出場権のないアマチュアクラブが天皇杯で優勝した場合には、J1の4位がプレーオフ出場となる。そしてJ2あるいはJ3の1位が天皇杯を制した場合には、J1の3位がプレーオフを戦い、勝てばACLに出場することになる。
出場チーム数が例年の60%に満たないだけでなく、Jリーグの大半のクラブが出場できない今年の天皇杯は、非常に寂しいものになったといわざるをえない。だが昨今の社会情勢では、こうして極度に「スリム化」した大会さえ、無事に決勝までできるのか、まったく保証はない。
来年の元日、国立競技場で、記念すべき大会の優勝チームは決まるのだろうか。それが満員の観衆の大歓声と拍手のなかで祝福されるなら、まさに夢のようだ。