大阪のだしは昆布+かつお節 天下の台所、うまみ出合う
とことん調査隊

関西タイムライン
2020/8/18 2:01
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JR大阪天満宮駅の近くを歩いていると、小さな一軒のそば屋が目に入った。柔らかな香りに誘われて、のれんをくぐった。そばを頂くと、透き通っただしにうまみがたっぷり効いている。東京で大学生活を送った記者(22)は関東風の色の濃いだしに慣れていたが、大阪の味はどのようにして生まれたのだろうか。ルーツをたどってみた。

この「手打そば処 もりもと」(大阪市)では、1杯500円からと手ごろな価格でそばを提供する。店主の森本英樹さんに聞くと、そばや丼物、煮物のだしには昆布とかつお節を使っているという。昆布の業界団体である日本昆布協会について調べると、本部が大阪の梅田にあった。取材に行くと、専務理事の喜多條淳隆さんが「昆布は江戸時代、北海道から北前船で『天下の台所』の大阪に運ばれ、この地で昆布加工業が発展した」と教えてくれた。

江戸時代以前は北陸で陸揚げし、そこから陸路で大阪へ運んでいた。航海技術が発達すると、下関を経由して瀬戸内海を通る航路が開かれ、北前船が直接大阪に入るように。商業の中心地であった大阪で荷降ろしされ、関東など全国に出荷された。保存技術がまだ十分でなく湿気でカビが生えることもあった。堺の名産品である包丁でカビをそぎ落として調理に使うこともあったようだ。

昆布に含まれるうまみ成分は「グルタミン酸」。喜多條さんが鍋で湯を沸かし昆布だしを取ってくれた。一口飲んでみたが、いまひとつインパクトに欠ける。すると「ここにかつお節を入れるとうまみが増すんや」と一言。「イノシン酸」を含むかつお節を鍋に加えることで、だしの風味が格段に高まり驚いた。

昆布とかつお節。2つのうまみのハイブリッドが大阪の味の秘訣のようだが、かつお節のルーツも関西に存在した。その創始者は現在の和歌山県印南町出身の漁師・角屋甚太郎だという。早速、大阪から特急「くろしお」に乗って印南町を訪ねた。

江戸時代初期に甚太郎は「くん乾法」と呼ばれる手法でかつお節を開発した。煮て乾かすだけでなく、煙でいぶす工程を加えることで保存性を高めた。その子である2代目甚太郎がさらに改良し、表面にカビを付ける製法を編み出した。この製法は風味にも優れ、船で消費地の大阪に運ばれた。

さらにその製法は全国に。印南町文化協会会長の坂下緋美さんは「和歌山の漁民は鹿児島や静岡、千葉に渡り、かつお節を広めた。そのたくましさはすごいものがある」と話す。現在の一大産地である鹿児島・枕崎に伝えたのは森弥兵衛だ。1707年の宝永地震と津波をきっかけに紀州に別れを告げ、鹿児島に移り住んだ。江戸時代の後期には印南与一が房総半島などを巡り、広く製法を伝えた。

印南町では今はかつお節を製造していない。町には宝永の津波で命を落とした2代目甚太郎の位牌(いはい)を守る印定寺があり、子孫が暮らす。100年続く「ダルマ醤油(しょうゆ)」の3代目、久保田英介さんは甚太郎から数えて13代目だ。祖先がかつお節の製法を編み出したことを知り、かつお節にちなんだ製品をと考え「だししょうゆ」を製造・販売している。

昆布とかつお節の歴史の深さに感嘆した。近年はだし入りの味噌や粉末状のだしが普及し、誰でも手軽にだしを楽しめる。日本昆布協会もホームページで簡単な昆布だしの取り方を紹介している。せっかくなので週末にだしを取るところから味噌汁を作ってみることに。「だしを取る」というとハードルが高く感じるが、思いのほか簡単においしく作れた。毎日作る自信はないが、だしから関西の文化に染まるのもよいかもしれない。

(斎藤さやか)

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