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旧兵器工場保存へ 名城大構内、教育・研究の場に整備

(更新)
 名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所の旧司令棟=愛知県春日井市(「春日井の戦争を記録する会」提供)=共同

太平洋戦争中、陸軍の弾丸などを造っていた「名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所(鷹来工廠=たかきこうしょう=)」の旧司令棟が、愛知県春日井市の名城大のキャンパスで今も使われている。大学は2021年に建物の外観を残しつつ内部を改修し、教育・研究の場として再整備する予定だ。

戦時中、空襲の標的とされた兵器工場は、戦後に取り壊されることも多く、現役の建物として残っているのはまれ。鷹来工廠の市民向け勉強会を開いてきた名城大の大学院OBで「ふるさと春日井学」研究フォーラムの河地清会長(77)は「広く市民にも知ってもらいたい」と話す。

終戦前日の1945年8月14日、米軍の特殊部隊が原爆の投下実験のために造った「模擬原爆」が落とされ、工場に大きな被害が出たが司令棟は無事だった。戦後、52年から大学が使用を始め、今は主に農学部の農場実習や教員の研究活動を支援する施設として利用。住民向けに農場で収穫した野菜や花、卵などを販売することもある。

保存、研究に取り組む名城大経済学部の渋井康弘教授や市民団体「春日井の戦争を記録する会」によると、旧司令棟は鉄筋コンクリート造りの地下1階地上4階建てで、延べ床面積は約2700平方メートル。建物正面の時計の下には旧陸軍が使っていた星のマークの跡が見える。屋上には植物が育つが、戦時中も「緑があれば、空襲時に上空から周囲の畑と見分けが付かない」との理由で緑化されていた。

鷹来工廠では小銃の弾が生産されたほか、戦争末期には制空権を失った日本軍が米本土空襲のために開発した風船爆弾も造られていた。約4千人が働き、うち約千人は動員学徒。県外では東京の大学や長野、静岡両県の女学校出身者も働いていた。金沢市や浜松市からの女子挺身(ていしん)隊もいたという。

渋井教授は今年8月に建物の歴史などをまとめた冊子を発行。「75年前は、今ここで学ぶ学生と同じ世代の若者たちが、兵器を造っていた。両者の運命の違いを考えてほしい」と話している。〔共同〕

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