父との絆求め、硫黄島へ 東日本大震災で形見失う

2020/8/13 10:46
保存
共有
印刷
その他

父の遺影の前で硫黄島の地図を広げる内海昭さん(7月、宮城県石巻市)=共同

父の遺影の前で硫黄島の地図を広げる内海昭さん(7月、宮城県石巻市)=共同

宮城県石巻市の内海昭さん(74)は、太平洋戦争の激戦地・硫黄島で父を亡くした。生まれる前に出征したため会ったことがなく、東日本大震災の津波で自宅を流され、形見の短剣も失った。父との絆を求めて昨年11月、硫黄島での遺骨収集に参加。「いつの日か、歯のひとかけらでもいいから、ふるさとに連れて帰りたい」と願う。

海軍軍人だった父、佐々木励さんは、戦艦長門の乗組員や海軍砲術学校の教員を経て1945年1月、中尉として硫黄島へ向かった。その途中、飛行機で家の上空を旋回し、「行ってきます」の合図に白いマフラーを落としていった。「無事に着いた」との手紙が最後の便りとなった。

日本側の遺族らでつくる硫黄島協会の資料には、米軍の集中砲撃を受けた二段岩砲台群で指揮官を務めたとの記述がある。厚生労働省の記録では、部隊が全滅した3月17日に戦死。家族の元には空の骨つぼが届いた。内海さんが生まれたのは、終戦後の9月。「男なら昭、女なら昭子」が父の遺言だった。

親戚の養子に迎えられ、同県女川町の干物加工店を継いだ。母のキヨシさんが71年に亡くなった後、父の形見を2人の兄と分け合い、短剣を受け取った。

「骨も残らず、顔さえ見たことのないおやじが唯一、生きていた証だった」という短剣は、2011年3月11日、自宅が津波にのみ込まれ、流された。家族と避難した母の実家で、父の遺影を見つけ、思いがけない再会に「生かされたのは、おやじを迎えに行くためだ」と考えるようになった。

19年11月末、政府の遺骨収集事業に参加。気温が50度近くになる地下ごうに入り、土砂を外に運び出すと、埋まっていた日本刀や万年筆、一升瓶などが次々と見つかり、手りゅう弾や銃弾も大量に出てきた。

父が最期を迎えたとみられる二段岩は、今は飛行場の滑走路の下にある。場所は離れているが、どれも父につながっている気がして、手に取りじっくりと眺めた。遺骨は見つからず、作業最終日、父も見たはずの海を見ながら「また来る」と誓った。

新型コロナウイルスの影響で、次はいつ行けるのか分からない。「おやじに会いたい。どこでどう戦い、亡くなったのか知りたい」。内海さんにとっては、硫黄島が父の墓だ。〔共同〕

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]