私の職場は戦争資料館、若手学芸員「同世代も身近に」

戦後75年
2020/8/7 18:00
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特攻隊員の遺書などを調べる知覧特攻平和会館学芸員の羽場恵理子さん(鹿児島県南九州市)

特攻隊員の遺書などを調べる知覧特攻平和会館学芸員の羽場恵理子さん(鹿児島県南九州市)

戦争を経験した世代が減るなか、若い世代に戦争の悲惨さや平和の大切さを知ってもらおうと、戦争資料館の若い学芸員たちが試行錯誤を重ねている。当事者や遺族から託された貴重な史料を同世代に刺さる展示につなげるにはどうしたらいいのか――。戦後75年を迎え、未来に語り継ぐ方法を模索している。

「機体の先端がとがっているから、写っているのは飛燕(ひえん)かな」。7月下旬の知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)。新人学芸員の羽場恵理子さん(25)は1枚の白黒写真に目をこらしていた。

太平洋戦争末期に出撃した特攻隊員の遺品などを展示する同館。遺族らから届く史料を隊員の記録などと照合し、展示に備えて整理するのが羽場さんの仕事だ。この日も隊員の知人家族から寄せられた写真に写る戦闘機の機種や撮影時期の確認作業に取り込んだ。

九州から遠く離れた埼玉県で生まれ育った羽場さん。戦争との距離が縮まったきっかけは高校時代に見学した旧日本軍の戦闘機「零戦」の展示だ。米国で保存されていた機体のエンジンが当時のまま動くのを見て「遠い昔のことだと思っていた戦争を身近に感じた」。

零式艦上戦闘機の前で話す知覧特攻平和会館学芸員の羽場恵理子さん(鹿児島県南九州市)

零式艦上戦闘機の前で話す知覧特攻平和会館学芸員の羽場恵理子さん(鹿児島県南九州市)

日本女子大大学院で歴史学を専攻。日本軍が飛行機を導入した歴史を学ぶうち「若い人たちが特攻の歴史を知るきっかけを作りたい」と戦争資料館の学芸員を志望するようになった。募集が少なく新卒での就職は断念したが諦めきれず、自治体の非常勤職員をしながら就職活動を続け、今春、同館の学芸員になった。

戦後生まれが国民の8割を超える中、若い世代に関心を持ってもらう展示は同館にとっても大きな課題だ。羽場さんは「一目で分かる展示」に知恵を絞る。飛行場の解説パネルには当時の白黒写真と同じ場所で撮影した現在のカラー写真を並べ、戦争当時の様子と比べられるようにした。白黒の資料写真の内容を文章だけでなくイラストでも紹介するなど、分かりやすさを意識した。

同館は今月15日、米ハワイ・真珠湾にある「戦艦ミズーリ記念館」と姉妹館提携する。「攻撃を受けた米国側の視点を掘り下げ、様々な角度から特攻の歴史を考える材料を提供したい」と意気込む。

長崎原爆資料館の展示物を解説する学芸員の弦本美菜子さん(長崎市)

長崎原爆資料館の展示物を解説する学芸員の弦本美菜子さん(長崎市)

「被爆者の話を聞けるチャンスは今が最後かもしれない」。長崎原爆資料館(長崎市)の学芸員、弦本美菜子さん(30)も伝承のあり方を模索している。同市出身で祖母の姉らが原爆で亡くなった話を聞いて育った。5年前に学芸員となり、米国立公文書館から被爆直後の長崎市の資料写真を持ち帰るなど重要な仕事を任されてきた。

活動に協力してくれる被爆者の減少が気がかりだ。今春、約2万5千人の被爆者に資料提供を呼びかける手紙を送ったが、死亡や転居で連絡が取れない人が1千人を超えた。「被爆者がいなくなっても、資料に被爆者の体験を語らせることはできるのではないか」と考え、遺品などを収集する際に聞き取った「誰がどのように使っていたか」などの背景を説明文に盛り込むようにした。

弦本さんは「2度と同じ悲劇を繰り返さないために戦争を語り継がなければならない。多くの資料を残すことで被爆体験を自分にも関係のある出来事だと捉えてもらえるようにしたい」と語る。

同館の篠崎桂子館長は「今後も戦争の実相や平和の大切さを伝え続けていくためには若い学芸員の視点が欠かせない。戦争になじみが薄い世代に関心を持ってもらえるような発信を続けてほしい」と願っている。

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