「思想家・与謝野晶子」に光 スペイン風邪対策を批判
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2020/8/6 2:01
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堺市出身の与謝野晶子といえば歌集「みだれ髪」などで知られ、「情熱的歌人」というイメージが強い。だが今、100年前の評論で政府の感染症対策を厳しく批判していたことから、思想家としての側面が注目されている。文学的表現力と論理的思考力を兼ね備えた作品に魅了される人も多い。

■「なぜ休業命じぬ」

スペイン風邪が猛威を振るった1918年、晶子は「感冒の床から」と題した評論でこう書いた。「米騒動の時にはおもだった都市で五人以上集まって歩くことを禁じました。(中略)政府はなぜ(スペイン風邪の感染拡大防止のため)多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか」

密集する場所として学校や工場などを挙げており、新型コロナウイルスが流行している現在と重なる。前段で米騒動時の暴動を鎮静する策に触れたことで、政府への痛烈な皮肉になった。堺市の文化施設「さかい利晶の杜(もり)」の学芸員、矢内一磨氏は「治安対策はできても感染症対策はできない矛盾をついた」と指摘する。同施設は堺出身の千利休と晶子の業績や足跡を展示している。

米騒動を取りあげた評論「食糧騒動について」では政府が物価高騰を放置し、対策が後手に回ったと批判した。「寺内(正毅)内閣が天下の器で無いことは……余りに明(ら)かになりました」と言い切る。

政府から弾圧されないか心配になるほどの鋭さだ。天理大学の太田登名誉教授は「攻めに徹する姿勢が晶子の評論の特徴」と話す。攻撃力の源が私憤でなく、国民の思いをくんだ公憤だから読者に響くという。太田氏は晶子の研究者や愛読者が集う堺市の「与謝野晶子倶楽部」の会長を務めている。

スペイン風邪の第2波に見舞われた20年の作品「死の恐怖」では、政府批判が影を潜めて内省的、哲学的になる。自分の死より、その後の子供の不幸を想像して恐ろしいと書き、最善を尽くして生きる決意を宣言する。「予防と治療とに人為の可能を用いないで流行感冒に暗殺的の死を強制されてはなりません」。人事を尽くして死ぬなら運命だと諦めがつくという。

いまも新型コロナから確実に身を守る方法はない。この文章を読むと、心の持ちようを教わった気がして少し落ち着く。利晶の杜は7月、評論などを検索できるコーナーにスペイン風邪に関する作品を加えた。

■渡欧が原動力に

情熱的歌人としてデビューした晶子を評論活動に向かわせたものは何だったのか。立命館大学の田口道昭教授は「夫の与謝野寛を追って12年に渡欧したときの見聞や経験が原動力になった」と解説する。渡欧経験が世界に目を向け、男女平等を追求する大きな契機になったようだ。

19年に「婦人も参政権を要求す」を発表し、男女の別なく25歳以上に選挙権を持たせよと主張した。日本で婦人参政権が認められたのは第2次世界大戦後。太田氏は「晶子の魅力や偉大さは時代を見通す先見性と国際性にある」と話す。

平塚雷鳥らとの論争では、国家による母性保護を批判して女性の自立を主張した。田口氏は「多くの子供を抱えながら生活を維持した晶子自身のリアリズムと理想主義があってのこと」と指摘する。シベリア出兵を批判した18年の「何故の出兵か」でも、戦争反対という理想を掲げつつ、世界的な軍備撤廃が実現するまで「ある程度の軍備保存はやむを得ない」と冷徹に現実を見据えている。

晶子は小説や童話も書いたほか、源氏物語の現代語訳も手がけるなど「多様性に富んでいた」(矢内氏)。元小学校長で晶子倶楽部の運営委員を務める阿部恵子さんは「堺の人に『世界の晶子』をもっと知ってほしい」と語り継ぐ活動を続けている。

(塩田宏之)

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