デフレ対応に苦慮 日銀決定会合、10年1~6月議事録

日銀は31日、2010年1~6月の金融政策決定会合の議事録を公開した。当時はギリシャの財政問題に端を発した欧州債務危機で国際金融市場が動揺していた。円高やデフレが日本経済の課題としてのしかかり、日銀は追加の金融緩和を市場や政府から催促される受け身の立場だった。
政府は09年11月の月例経済報告で、日本経済は物価が持続的に下落する「緩やかなデフレ状況にある」とした。白川方明総裁は10年1月の会合で「安易にデフレという言葉が使われている」と述べており、困惑した様子がうかがえる。
消費者物価指数は09年前半からマイナス圏で推移していたが、日銀は定義が曖昧だとしてデフレと言い切るのに慎重だった。追加緩和に消極的でデフレを容認しているとの批判を浴び「情報発信に気をつけなければいけない」(白川氏)との声があった。市場との対話に苦慮する姿が浮かぶ。
デフレと同時並行で進んだのが円高だ。当時の円相場は1ドル=80円台後半から90円台前半で推移した。「この程度の円高で海外に出ていかなければいけない人は、私は出ていけばいいと思っている」(須田美矢子審議委員)といった過激な発言も飛び交った。金融政策で円高に対処するよう求める声へのいらだちが背景にある。
3月の会合で日銀は追加緩和を決める。期間3カ月の資金を年0.1%の固定金利で金融機関に貸し出す新型オペの供給枠を10兆円程度から20兆円程度に拡大した。
緩和策を温存すべきだとの意見は一部で、賛成派が多数だった。「打てる手があるならば早めに打って『日銀もやるのである』ということをみせることでマインドに働きかける意味がある」(亀崎英敏審議委員)。追加緩和に消極的という批判を払拭しようとしていた狙いが垣間見える。
この頃から日銀内では人口減少と生産性の低下が「日本経済の直面する最も大きな問題」(白川氏)との考えが強まる。
4月の会合では「企業のイノベーションや潜在的な需要の掘り起こしに向けた活動を支援していくことができないか」(山口広秀副総裁)といった議論が交わされる。こうして創設が決まったのが成長基盤の強化を促す新たな貸出制度だった。特定の使途に照準を合わせた資金供給は「中央銀行として異例の措置」(中村清次審議委員)でもあった。
欧州の債務危機が飛び火するリスクも意識していた。「財政健全化に向けた取り組みは極めて重要な課題」(亀崎委員)などの意見が交わされていた。
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