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特別史跡となった埼玉古墳群、地元支援や研究に期待

(更新)
現在は修復され墳丘にも登れる稲荷山古墳(埼玉県行田市)

関東平野のほぼ中心、埼玉県行田市に位置する「埼玉(さきたま)古墳群」が今年3月、国から「学術上、特に価値が高く、わが国の文化の象徴にあたる」として「特別史跡」に指定された。令和に入り第1号、同県として初だ。全国では63件目。新型コロナウイルスの影響で記念の式典などは中止となったが、県や教育委員会などは「新たな特別史跡のモデルを」と知名度向上を狙う。

埼玉古墳群は県の名称のもととなった旧・埼玉村に所在し、6世紀ごろの現地の首長の墓が残る。主なものは計9つあって、最大の前方後円墳は全長130メートル超。一部の古墳には登ることもでき、頂上にはサクラの木が植えられているところも。全体が公園として整備され、四季折々の風情も楽しめる。

この古墳群が一躍、歴史家の注目を集めたきっかけは稲荷山古墳から出土した鉄剣だった。金をはめ込んだ計115の文字があり、その詳細が1978年に判明した。地元の有力者とみられる「ヲワケ」なる人物が「自分は雄略天皇につかえ、天皇が天下を治めるのを助けた。その功績を自ら刻んで記念とする」とあった。

近畿地方を中心とした初期の統一王権と地方の豪族の関係を示し、国造りの黎明(れいめい)を物語る画期的な発見だった。鉄剣は83年に国宝となり、現在も古墳群内の博物館で保存・展示されている。

「日本」の成立過程を示す貴重な古墳群なのだが、実は受難の時代が続いた。県立さきたま史跡の博物館の栗岡真理子主幹が語る。

「周辺は平野で山がないため、近隣で田畑を整備する際に、土や石を求め、かなり以前から古墳が掘り崩されていたのです」。工場の敷地をならすため、古墳をまるごと削ってしまう計画もあったようだ。鉄剣が出た稲荷山古墳も戦前、付近の沼を干拓するため一部が取り壊され、埋め立て用の土として利用されていたという。

このままでは古墳が次々となくなる、と心を痛めた地元の人々が知事に「千古の遺物が壊滅してしまう」と保存を要望、知事から当時の文部省に陳情が上がり、38年「史跡」としての指定に至った。以来、82年を経ての"昇格"である。

「地元の人は昔から『古墳群を自分たちで守ってきた』という意識が強い」(栗岡さん)。郷土の歴史に親しみ、いにしえとのつながりを大切に考えてきたのだろう。

また、貴重な発掘物は国宝に指定されると国の施設などで展示されることが多い。しかし、ここの鉄剣は隣接する博物館で、さびないよう窒素を封入したケース内に入れ、展示され続けている。

栗岡さんは「内部の調査が進んでいない古墳がいくつもある。調査は百年単位でかかるでしょう」と見通しを語った。

地域によって大切にされ、調査も途上。古墳群は遠からぬ将来、私たちの古代観を変える可能性も秘め、たたずんでいる。

(毛糠秀樹)

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