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「運と哲学」トップに必要 雇ってやる、は通用しない

松井証券 松井道夫顧問(下)

松井証券顧問 松井道夫氏

今年6月、松井道夫さんはインターネット証券トップの松井証券社長を退任し、顧問となった。社長だった25年間、証券業界の慣例やビジネスの常識を次々と壊し、兜町の風雲児と呼ばれた松井さん。その原点は証券の世界よりひと足早く、運賃自由化の荒波にさらされた海運業界での経験だった。

<<(上)直感力こそトップの条件 他人の評価は気にしちゃダメ

――松井証券に入る前は日本郵船におられました。

「1976年に一橋大学を卒業し、日本郵船に入りました。オイルショック後の不況と重なり、企業は採用を減らしていました。実は私は補欠合格でした。海運業界の転機は84年です。それまで事実上のカルテルだった海上運賃が自由化されました。運賃は20分の1まで下がり、主要国の大手海運会社は軒並み、1兆円以上の損失を計上しました。自由化の前、顧客が求めるものは誠意でした。運賃は固定だから、少しでも誠意を見せた海運会社に発注すると言われていました。誠意を見せようと、私たちはピカピカのコンテナを用意しました。自由化後、顧客の要求は運賃の引き下げ一色になりました。顧客をつなぎ留める手段は価格競争しかありません。コンテナなど、さびていようが汚かろうが、雨漏りしなければそれでいいと、言われるまで変わりました」

――なるほど、手数料が自由化された後の証券業界と似ていますね。

「手数料自由化の前、松井証券のベテランの営業担当者と話した時のことです。彼はすご腕の営業マンでした。あなたの武器はなんですかと尋ねると、彼はしばらく考えて、うーん、誠意かなと答えました。手数料は値引きできないから、小間使いに徹し、ひたすら顧客の満足度を上げるのだと。なんだ、郵船時代のピカピカのコンテナと同じじゃないかと思いました。誠意なんて、手数料自由化が始まれば吹っ飛ぶだろう。兜町の片隅で流布される噂話を、ここだけの極秘情報ですと、そっと耳打ちするのが優秀な営業マンとされていましたが、そんな怪しげな情報より、顧客が求めるのは、少しでも安い手数料に決まってます」

――海運業界から証券業界へ。どんな経緯があったのですか。

「弟の嫁の紹介で、ある女性と会いました。それが松井証券2代目社長のひとり娘、今の家内です。当時は松井証券を継ぐつもりはまったくなく、妻が私の旧姓である務台になり、郵船の社宅に住み、定年まで郵船にいるつもりでした。妻や岳父から松井証券を継いでほしいと言われたことは一度もありませんでしたが、妻と一緒に暮らし、岳父と何度も顔を合わせるうち、だんだん気持ちが変わっていきました。特に決定的なきっかけはありませんが、水が流れるがごとく、いわば成り行きで、私は女婿として松井証券を継ぐ人生を選びました。そのことを告げた時、妻がほっとしたような表情を浮かべたのを覚えています」

口出ししない先代トップ

――松井証券に入ってから、常識破りの経営を次々、打ち出しました。先代は何も言わなかったのですか。

「岳父の松井武氏は、私が相談するといつも、それがいいと思うならおやりなさい。あんたの責任でね、と反対されたことは一度もありませんでした。ある時、妻に聞いたことがあります。君のおやじさんに相談しても、何かアドバイスをくれたことがない。俺は嫌われているのかなと。妻の答えはこうでした。『以前、父がこんなことを言ってたわよ。道夫さんがバカだったら、私が何を言っても無駄だ。道夫さんが利口だったら、何も言わなくても気づくはすだ。だから何も言わない』と。岳父は腹の据わった経営者だったと思います。私が社長を辞めて、その後は経営に一切口を出さないと決めたのも、岳父のこんな姿勢が影響しているのかもしれません」

日本郵船時代、27歳の松井氏(左)。タンカーの船内で中東情勢を船長からヒアリング

――奥様とはよく経営の話をされたのですか。

「たまにです。妻の言葉で印象的なのは、運のいい人と付き合いなさい、というものです。妻は、私は運のいい人がわかる、と言います。女性の直感はすごいですね。トップに必要なのは直感力と考えていますが、もうひとつ必要なのは、運だと思います。運は結局、気の持ちようなんです。先行きを悲観的に考える人は、できない理由を考える。そして論理的に悲観を語り、運を遠ざける。私は運が良かったと思うのは、97年に山一証券が経営破綻したことです。証券手数料の自由化を目前にし、ネット専業証券に移行するタイミングで山一が破綻、優秀な人材が何人も松井証券に入ってくれました。2000年に松井証券は個人投資家の主戦場とも言える信用取引で、野村証券を抜いて業界トップになりました。この時、一番喜んだのが、山一から移籍してきた社員たちでした。山一時代、手が届かなかった野村を、こんな小さな松井証券が抜いた、これほど痛快なことはないと」

――トップリーダーに必要なものは、直感と運ですか。

「あとは哲学でしょうね。社長時代、私が最も緊張した場面は、欧米の機関投資家との投資家向け広報(IR)ミーティングでした。彼らは自分の運用成績が悪いと、すぐクビですから、必死です。松井証券が投資対象足りうるか、必死で見定めようとします。そんな彼らが何より重視するのが、トップの経営哲学でした。だからミーティングも真剣勝負です。資本主義についてどう思うかとか、これからの時代、格差は広がるか、など哲学めいた議論をよく吹っかけられました。彼らはこちらの反応をみて、器の大きさや度量を値踏みしているのです。こいつはダメだと思えば、会談中でもさっさと席を立ち、翌日には株が売却されます。ある日本の大企業のトップが欧州にIRに行ったとき、5分で相手が帰ってしまった。トップは激怒し、同行した大手証券の担当者はオロオロするばかりだったそうですが、海外の機関投資家との対面は、そのくらい真剣勝負で、いつも緊張しました」

――厳しい世界ですね。

「もちろん、哲学を語る前に、きちんと数字で成果を示していることが大前提です。トップの評価は数字です。これは言い訳が効かない。私の社長時代の25年間は、累計の経常利益が3087億円、株式上場後、19年間の自己資本利益率は平均13.4%です。トップの通信簿としては、まずまずの成績だったと自負しています」

コロナで働き方や評価、すべて変わった

――松井さんにとって経営とは何ですか。

「私は絵を描くのが好きです。大学受験の時、東京芸術大学を受けたいと言ったほどです。もっとも美術の教師からは、君は才能がない、やめた方がいいと言われましたけどね。今でも絵を描くのは私の数少ない趣味の一つです。私にとって経営とは、絵を描くことに似ていました。ただ美しい絵を描きたかった。時代に合わない商慣習、しがらみ、古い人事制度や手数料体系は、私の目には美しく映らなかったのです。だから壊した。新しいことを始めるのは、それほど難しくありません。やめる方が大変です。前任者のやってきたことを否定するわけですから。美しい絵を描きたい。その一念で経営をしてきたような気がします」

絵は趣味ではなく本業だそうだ。風景画を多く描くが、これからは人物画も。好きな画家はボナール、マチスのほか、数年に一度、フィレンツェのウフィツィ美術館を訪ね、ボッティチェリの作品を鑑賞する

――新型コロナウイルスの影響で、会社の経営は大きく変わろうとしています。

「これからの経営者が最も考えなければいけないのは、会社と働く人との関係性でしょう。雇ってやる、使ってやるという発想はもう通用しません。会社と個人は対等になるべきです。個人が会社を評価する、自分の評価に合わなければ、辞める権利があるのです。こういう発想をしないと、これからの時代、優秀な人材は採れません。コロナによって、はからずも壮大な実験が実現しました。働き方、評価の仕方、すべて大きく変わりました。アフターコロナの時代、それは加速するでしょう。あと10年もすれば、名前も聞いたことがないような会社が日本の中心にいるかもしれません。今の米国のGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム)のようにね。松井証券もそんな会社の一つであってほしい。私の後任の和里田聡社長は大変ですよ。彼はこれから夜も眠れないような苦悩の日々を過ごすことになるでしょう。長男の松井道太郎が一族を代表する形で取締役になりましたが、彼が将来、社長になるかどうかなど、まったくわからない。彼が社長の器足るかどうか、これから精進の日々が続くことになります」

<<(上)直感力こそトップの条件 他人の評価は気にしちゃダメ

松井道夫
1953年長野県出身。76年一橋大学経済学部卒、日本郵船入社。87年娘婿として松井証券入社。90年常務、95年に社長。2001年東証1部に直接上場。今年6月の株主総会で25年間務めた社長を退任。

(編集委員 鈴木亮)

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