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「八ツ場ダム50個」の水害対策 菅官房長官に聞く

菅義偉官房長官が関係省庁に指示を出し、ダムの貯水容量を増やした(写真:的野弘路)
日経ビジネス電子版

2018年の西日本豪雨、19年の台風19号と毎年のように続く豪雨災害を受け、政府は実効性の高い治水対策の練り直しを進めている。その柱の1つとして政府は今年6月から、発電や農業用などに限って使っていた既存の利水ダムも洪水対策に活用できるよう運用を見直した。

大雨の前に事前放流できるようにすることで、水害対策に使うことができるダムの貯水容量は倍増。拡大できた容量は総額5000億円以上の事業費をかけた八ツ場ダム50個分に相当するという。どのようにして対策を取りまとめたのか。九州地方に大きな被害をもたらした「令和2年7月豪雨」で見えた成果や今後の課題は何か。関係省庁による検討を主導した菅義偉官房長官に聞いた。

――今年も「令和2年7月豪雨」が発生し、甚大な豪雨災害は毎年続いています。政府としてどのような危機意識を持っていますか。

「18年の西日本豪雨、19年の台風19号と豪雨災害が続いていたところに、今年も7月豪雨に見舞われました。地球温暖化の影響が大きいと言われていますが、河川の氾濫リスクは近年高まっています」

「氾濫危険水位を超えた河川数は14年に83でしたが、19年は403と5年で約5倍になりました。政府としては、危機感を持って洪水対策を徹底して行っていかなければならないと考えています」

「縦割り」だった洪水対策

――政府は対応策の柱として今年6月、ダムを活用した新たな洪水対策をスタートしました。菅長官は「ダムの有効貯水容量のうち水害対策に使うことができる容量をこれまでの約3割から約6割へと倍増することができた」と説明しています。そもそもどういう経緯で政府内の検討に乗り出したのでしょうか。

「昨年10月の台風19号による大雨で、多摩川や荒川の濁流を見た時、もし堤防が決壊したら大変なことになってしまう、多くの国民への多大な被害と経済への深刻な影響から日本の株式市場も急落しかねないと強い危機感を抱きました」

「この時は関東各地に整備されたダムや調節池などがフル稼働して大規模浸水をなんとか食い止めたわけですが、台風が通過した翌日には『来年の出水期までに政府としてできることは何でもやろう』と関係省庁に検討を指示しました」

「もっとも、今からダムを建設しようにも巨額の費用や時間を要することになり、迅速な対策の観点からは選択肢になり得ません。すると、治水を担う国土交通省の河川担当の局長が私のところにやってきてこう説明したのです。『実は全国で稼働する1470カ所のダムには水力発電や農業などに利用する利水ダム(約900カ所)と、治水目的も含む多目的ダム(約570カ所)があります。国交省所管の多目的ダムだけでなくこんなにある利水ダムも洪水対策で調整できるようになればいいと思うのですが……』」

――絵に描いたような縦割りの構図が続いていたということですね。

「そうです。つまり、これまで経済産業省が所管する電力用ダムや農水省が所管する農業用水用ダムなど利水ダムは各省の縦割りの下、あらかじめ水位を下げる事前放流を実施せず、水害対策にほとんど活用してこなかったのです」

「国が管理する1級水系では、多目的ダムが335カ所、利水ダムが620カ所ありますが、すべての貯水容量のうち水害対策に使える雨水などの貯水容量(洪水調節容量)は約3割(46億立方メートル)にとどまっていました。まさに縦割りの弊害ですよね」

「それから、昨年の台風19号の際、5県6カ所のダムがあふれるのを防ぐため緊急放流を行いました。緊急放流は下流の河川の氾濫リスクを高めます。これをできるだけ避けるためにも、事前にダムの貯水容量を調整することが重要となります」

「実は昨年の台風19号の時、洪水抑止に役立ったダムの筆頭に挙げられるのが当時完成して試験貯水が始まったばかりの群馬県の八ツ場ダムです。当時八ツ場ダムはほぼ空の状態でした。台風による豪雨でほぼ満杯に近い水準まで貯水されましたが、関東地方を流れる利根川は八ツ場を含む複数のダムの効果で下流の水位が1メートルほど下がったと聞いています」

効果を示した「八ツ場ダム」

「要は、台風の進路や降雨量などを予測し、それに先だって事前放流を実施してダムの水位を下げる仕組みの整備がポイントになると思いました。私は関係省庁の局長らを集め、豪雨時は国交省を中心に既存ダムの洪水対策を一元的に行う方向で検討するよう指示しました」

「19年11月に首相官邸に「既存ダムの洪水調節機能強化に向けた検討会議」を立ち上げ、検討を急がせました」

――まずは1級水系のダムを対象に運用を開始しましたね。

「これまでに109の1級水系のうちダムのある全国99の水系で電力や農業用ダムなどの管理者と治水協定を結びました」

「事前放流後に水位が戻らない場合の対応などが課題になっていましたが、損害が発生した場合には国が費用を補填する方針を示し理解を得ました」

「これにより利水ダムも洪水対策への活用が可能になりました。1級水系全体としては、全国で水害対策に使える貯水容量はこれまでの46億立方メートルから91億立方メートルに倍増しました」

主な1級水系の水害対策容量

「ちなみに八ツ場ダムの有効貯水容量は0.9億立方メートルです。つまり、拡大できた容量は建設に約50年、総額5000億円以上の事業費がかかった八ツ場ダム50個分に相当します」

――例えば、昨年の台風19号で武蔵小杉(神奈川県)などに浸水被害が生じた多摩川水系の対応力はどうなるのでしょう。

「多摩川水系は利水ダムしかないため、これまで洪水調節容量はゼロでしたが、新たに3600万立方メートル、八ツ場ダムの約半分の容量を確保できました。首都圏を流れる利根川水系や大阪の淀川水系などでも水害対策に使える容量は2倍程度に増えます」

――事前放流のガイドラインでは「実施判断は3日前から行うことを基本とする」としていますね。

「事前放流は気象庁の気象予測モデルを基準に判断することにしています。気象庁は気象衛星『ひまわり』のデータや最新式レーダーの導入などで『3日前なら台風の進路や降雨量を高い精度で予測できる』ということだったので、そのような運用にしました」

37カ所のダムで事前放流

――6月の運用開始から間もないこの7月の豪雨でさっそく洪水対応が試されました。

「今回の見直しによって増えた既存ダムの容量を活用して大雨時の増水を防ぐため、事前放流を全国37のダムで実施しました。各地の放流の効果は今後検証することになりますが、例えば木曽川水系では牧尾ダムが事前放流を行い、他の8カ所のダムで水害対策に使える容量を約4200万トン確保して放流量を抑えることで、木曽川の水量を約2割程度減らす効果があったと報告を受けています。一定の効果を証明できたと考えています」

――今回豪雨で氾濫した熊本県の球磨川水系では、上流の多目的ダムである市房ダムのみが事前放流を実施しました。気象予測上の課題が指摘されています。

「今回の豪雨をもたらした『線状降水帯』は積乱雲が線状につながって大量の雨を降らせるものです。現時点では残念ながら、台風などとは異なり発生予測が難しいのが実情です。予測の精度向上を急ぐ必要があります」

「また、球磨川水系では上流部の支流に川辺川ダムを建設する計画が中止された後、堤防整備などダムによらない治水を追求してきましたが、治水対策は答えが出ていない状況です。今後、様々な対応策を検討していかなければならないでしょう」

2級水系も対応へ

――都道府県が管理する2級水系のダムについても同様の水害対策に取り組み始めていますね。

「そうです。国が管理する1級水系の河川はそのほとんどで堤防整備などの管理がきちんと行われています。これに対し、都道府県が所管する2級水系の河川は管理水準がまちまちで、近年は2級河川の氾濫が増えています。このため、近年水害が起きた水系や大きなダムがある水系などについては特に速やかに協定を結んで対応できるよう調整を進めています」

――降雨量などの予測精度向上へ人工知能(AI)の活用も打ち出しています。

「AIを活用して降雨量やダムへの流入量を精緻に予測し、さらにダムの事前放水量も予測できるよう研究開発を進めています。これにより、下流域の氾濫を防ぐため、上流の複数のダムで水位のコントロールを最適運用することなどが可能になると聞いています」

――これだけ大規模水害が多発する中、自治体ごとの対応には限界があるようにみえます。

「個々の自治体では緊急時に対応できる専門人材の不足が大きな問題だと聞いています。この4月から国交省の地方整備局職員を100人増やす対応を取りましたが、河川や道路の復旧工事の権限代行などで制度的にも国が支援する枠組みをつくっています」

――これまでの新型コロナウイルス対応もあり、危機時や自然災害時には「自助、共助、公助」が一体となって立ち向かうことの重要性が改めて注目されています。

「そこはものすごく大事なポイントです。私は国の基本は『自助、共助、公助』だというのが持論です。自分でできることはまずは自分でやってみる。その次に、地域や周囲が共助で助け合う。それでもどうしようもなくなったら国が必ず責任を持って対応してくれると国民から信頼される国をつくる。それこそが基本だと確信しています」

「国として激甚化する水害などへの対応は引き続き着実に進め、国や行政と住民との間の信頼関係を深められるよう、さらに努力していくつもりです」

(日経ビジネス編集委員 安藤毅)

[日経ビジネス電子版2020年7月30日の記事を再構成]

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